
当日より後に気付きが起きた
2025/12/1──
てんちむが表舞台に立つ最後の日。
私はこの日のために、コツコツお金を貯めてきた。
正直、私は推し活すらギリギリ状態。
てんちむファンの子たちって、すごいのよ。
毎回豪華なプレゼントを持ってきたり、チップを惜しみなく入れたり。
そのたびに、ちょっと肩身が狭くなったりもした。
でも、てんちむを見てると分かるんだよね。
どれだけ否定されても、どれだけアンチが湧いても、
彼女はただ一言──
「でも私はこれがいい」
そう言って、自分の選択に責任を持って進んでいく。
まだ20代だったのに、誹謗中傷を浴びながらも、
あの強さで立ち続けてることを、本当に尊敬してる。
私はというと──
“ファンです” と言ってくれる人がいても
いつもどこか疑っていた。
フォローもない。
やり取りは一度きり。
消えるように去っていく人も多い。
だからつい、
「どこがファンなん?」
「この場限りでしょ?」
そんなふうに不信感を抱いたりしていた。
なのに、昔から私はなぜか人に寄られやすくて、
本人は全く “推されてる感覚” がないのに、
周りには「ファンサすごいよね」って言われるくらい、
自然と笑顔で対応するタイプらしい。
でも本音では、
「ファンって言う割にフォローしないじゃん」
「ファンって見返りを求めるんだっけ??」
って、不信感満載だった。
有名人のファンは、認知されなくても舌打ちなんてしない。
てんちむのように、炎上しようが何しようが、
100万のチップを送るような “本物のファン” は
ただ“好き”だからそこにいる。
でも私は──
認知が本当に苦手で、相手の顔はほとんど覚えられなくて、
努力しても舌打ちされたことがある。
それで私は思ったんだよね。
「それってファンじゃなくない?」
「私は“傍に置かなくていい人”に心を砕いて疲れていただけじゃん」
そう気付いたとき、スーッと腑に落ちた。
私はずっと不信感の方を見ていた。
だけど、本当に見るべきだったのは “自分の選択”。
てんちむが見せてくれるのは、
「誰にどう言われても、自分の選択に立つ強さ」
だったんだ。
見納めのSHOWは、本当に素晴らしかった。
ステージに立つ女の子たちも、努力・葛藤・覚悟を
YouTubeで見てきてるからこそ、
LiLiCaちゃんの Martini Queen で涙が出た。
そして、その涙の瞬間をストーリーに上げたら、
DMをくれた方がいて──
その会話の中で、また一つ気付いた。
「人は見たいものを見る。
そして、挑戦すると“見たいもの”が変わる。」
一気にパズルのピースがハマった。
私は仲間に入れてないと思っていたけれど、
みんなそれぞれの場所で必死に変わろうとしていた。
「私は違う」と扉を閉めていたのは、実は私の方だった。
そう気付かせてもらえた夜。
DMをくれた方、本当にありがとう。
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