フォーカス=注目
どん底に堕ちた理由
立ち直った経緯
これ、どちらも
フォーカスするポイント通り
だと気付いた。
どん底に堕ちた時は
嫌な事にフォーカスしている。
つまり、
母が否定してきた。
嫌い。なんで理解してくれないの?
母が嫌なことして来た。
ムカつく。親のクセになにやってるの?
家に帰ると母が居る
嫌だなぁ。どうやってやり過ごそうか?
当時、私はずーっと母に注目してた。
この世で一番嫌いなモノを
それこそ、ゼンリー入れて
逐一監視してるかのように
24時間中8時間以上は母の事を考えていた。
立ち直る時、
気が楽になる事に注目していた。
HAPPY理論の初歩の初歩の初歩だと
思えて、こんなフォロワーがいっぱい
いる方と似た思考であると
今なら恐れ多いことを思って歓喜した
【はじめの法則】
だったり。
ケーキの先生の
「そんな時もあるわよ」
と受入れてくれた事で
素の自分を受け入れて貰えた
と感じ、肩の荷が降りた感覚があった。
今にして思えば私は
生理的欲求しか満たされていなかった。
HAPPY理論とケーキの先生のおかげで
安全性の欲求が満たされた。
経済的な不安は無いとは
言い切れないけどw
だけど、この部分は
どうにかなると思っているので
満たされていると思って
いいのではないかと思う。
そして、今現在
社会的欲求を求めている。
強い信頼関係の仲間が欲しい。
私主体のコミュニティが欲しい。
幸せになるためには
どんなに無視しまくっても
どんなに歳をとっても
幼少期に閉じ込めた感情を
許容することだと気付いた。
母の愛が欲しい。
母に認めて貰いたい。
そう思って頑張ってた時は
否定されまくり、感情に飲み込まれ
自己否定が増してどん底行きだったのに
自分より経験値が高い人物から
否定されていた感情を認めて貰えれば
別に母でなくても良かった。
今回の経験で経験値の高い人物だと
思っているけど、もしかしたら
経験値が高くなくても良いのかもしれない。
RPGと同じで
逃げても諦めてもOK。
村に戻って休んだり、村人の話を聞いて回ったり
同じ場所で弱い敵を倒し続けてレベル上げしても
ダメじゃない。
イベントをクリアしないと
次のステップには行けない。
それだけのこと。
幸せになるにも
必要なイベントをクリアしないと
次に行けない。
そのイベントとは、
自分から溢れる感情を許容すること。
行けないからダメなわけではない。
そのステージを気が済むまで
ウロウロすればよい。
なんど同じ話を聞こうと
なんど同じ敵と戦っても
それは、経験値になる。
だから
NGではない。
ダメでもない。
悪い事でもない。
喜んで良い
怒って良い
哀しんで良い
楽しんで良い
総てが経験値になり
いつか、イベントをクリアして
次のステージに進める。
早くても遅くても
クリアすれば良いのだ。
最短で行くだけがRPGの楽しみ方ではない。
だから、
気がラクになること
にフォーカスをかけよう。
怒りをあらわにした方がスッキリできるなら
その方が良い。
あらわにする方法によっては、
私みたいにとがめられる可能性もあるけど
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
ではなく。
コレが良い。
コレが好き。
コレが欲しい。
にフォーカスをしよう。
RPGを最高に楽しめる人生になる
それが、幸せ
それが、無限にある
だから、拡大し続ける。
今の私の気付き