母と同居したことで母にフォーカスしたからだ
久しぶりにお友達とお茶してきました。
マンゴーフラペチーノ的な名前だった。
女性は、
女子から女性へ
女性から妻
妻から母
というように色々変化していく。
私自身、HAPPY理論に出会うまでは
遊んでいただいている
という感覚だったので
ほとんどの人と居心地が悪くなって
また、疎遠だった人と
再会をするようになってきている。
一時期、孤独を彷徨って
友達っていうより、知り合い
って感覚にまでなった。
今、また友達と呼んでいいのかな?
という気持ちを持ち始めた。
そんな中、久しぶりにお茶をした。
他人というのは、本当にありがたい。
いつもは、1人だし、
仕事で必要事項以外話さない。
そんな生活をしているから
自分の話をすることがほとんどない。
だから、気付くこともあまりない。
同じレッスンの日程の調整の話から
心の中の整理が出来たようだ。
私は、今、パン教室にあまり
通いたいと思っていない。
だけど、年に1回のセミナーは
とっても楽しみしている行事。
コレを受けたいがために籍を置いている。
しかし、セミナーがコロナ禍のタメ
中止になっていた。
その間、籍を置いている意味を
考える事もシバシバあった。
毎月通っていたレッスンを
2ヶ月に1回に減らした。
ちょっと気が楽になった。
今回
一緒にレッスンを受けている方の
日程が合わず。
かなりランクが上がっているので
私達のコースを受けている人が少ない。
その為、振り替えなどが非常に難しい。
なので、日程が合わない人のタメと称して
行かないでいられることが嬉しい。
1年に1回のセミナーのために
6回我慢するのってどうなの??
なんて、考えも出てくる。
こんな状態を3年近く続けている。
しかし、お茶をして自分の気持ちを
話しているうちに解って来た。
私は、母との折り合いが悪い。
親なんだから
大切にしなければならない。
親なんだから
解ってくれるに違いない。
親なんだから…
こういう呪縛に雁字搦めで
滅多刺しにしたい程憎んでいた時期がある。
悪口を言うと言霊で返って来るから
言っちゃダメよ。
こんな感じでたしなめられていた。
普通はそうなんだと思う。
しかし、私には、
コレが強烈なストレスだった。
幼少期から母に
肯定されず、否定ばかり。
出来て当たり前。その上を行け。
出来ないなんてあり得ない。
そんな世界に居た。
故に、「言っちゃダメ」
この否定が、自己否定を更に強固にし、
ストレスを更にかける状態となった。
正直、先生に話すと言うより
同じレッスン生に愚痴っているのだけど
先生の耳にも入るから
どうしてもたしなめられる。
良かれと思って言っているのは
重々承知なのだけど
私の持ってしまった感情がダメな事。
と捉えてしまった事で、
みんなは持たないのに
私だけ持ってしまったダメ人間。
と自己否定からの心の逃げ道がなくなり
母への恨みが増し、嫌なことへフォーカスし続ける。
故に、さらに苦しくなるという
悪循環を起こしてどん底に堕ちた。
家では母の小さなイジメ
風呂掃除用のスポンジに
身体を洗うスポンジを
くっ付けられたり
仕事に逃げるなどの嫌味を言われたり
介護のやり方を母だって手探りで
やってきたんだら、
私にも手探りでやれと
やり方を教えない。
など。
外に出れば、言わないようにとは思うけど
溢れてくるという感じ。
認知症になった父に
殺してくれと迫ったこともあった。
当時の父の顔が今でも忘れられない。
本当に申し訳ない事をした。
そこから立ち直れた理由が解った。
ちょっと長くなるので、次回に続く。