生物は他生物の命を頂いて生きているから
なぜ、食べ物に拘るか。
それはね。
地球上に存在するすべての生命体は
自分以外の生命を頂いて生存しているから。
つまり、間接的でも直接的でも
他の生物の命を食べて生きているのね。
銀河鉄道999で
機械の身体を持つ人の食事はカプセルだったけど
そのカプセルは人間から作られていたものだった。
っていう場面を思い出す。
小学生の頃、南無道場ってう
お寺さんで自給自足体験をさせてくれるイベントがあって
4,5,6年と参加した時に
生きるとは
食べるとは
働くとは
みたいなモノの軸を作ったように感じる。
肉付けは、基本漫画やアニメだけども
人間は、他者の命を奪って生きる。
そして、働かなければ、食べることも出来ない。
総ては当たり前にあるものでは無く。
多くのモノと共存している。
こういうことを、昔は、みんな知っていた。
だから八百万の神として、
なんにでも感謝をしていたのだろうと推測してる。
植物も動物も生命体なのね。
一生を全うする前に狩られ、私達の食料となってる。
その残りの命を私達は、生きる糧として食すわけ。
その食す過程も、育てる人、狩る人、運ぶ人、
食べやすく分ける人、道具を作る人、調理する人
色々な人の労働によって、口に入れることが出来る。
それら総てに感謝して頂く。
「いただきます。」
日本の言葉ってとても美しいと思う。
そういう流れでいくとね。
命で私達の身体は作られているのよ。
人工物入れるっておかしくない??
機械の身体だって、エネルギー元のカプセルは
人間から(命)から作ってるのに・・・
そういう発想。
だから、食べ物(生命体)に拘ってるの。
生きる為に食べるなら生きていたものから摂らないと
そういう考えだから、食べ物に拘る。
だけど、それをどこでもやろうとすると
今の世の中とても難しい。
正直、F1みたく子孫を残せない植物って
生命体と呼べるのか?みたいなさ・・・
農薬はどう考えるとか
もう、なぁ~んにも
食べられなくなっちゃうのよ。
だから、手作りだけは
生命体を使って調理したい。
コレだけ。コレだけは
拘りたいと思っているの。
だってね。
本能で生きているような
食べ始めたばかりの子供とか
親がビックリするほど食べるんだよ。
私が作った料理。
感覚がマヒして、
解らなくなっているだけで
身体が欲しているものは、
これなんだって
小さな命に教えて貰ったと思っている。