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静けさが映す真理
3夜連続。
同じ内容だけど、ちょっと違う。
そんな芝居をオンラインで鑑賞した。
泣きの芝居を見ただけで、
なんで泣いてるのかも分からないのに
貰い泣きするこの私が、
現場に行った人みたく泣くこともなく、
3夜見終わったことに驚いた。
実は、集中して見ることができなかった。
暴走したエゴなのだろうとは思ってるけど、
1夜目の感想は
「意味わからない…つまらない…」だった。
でも、私はHAPPY理論を真理だと思っている。
だから、私の中で何かが抵抗してるんだろうな。
そう思っていたけど、
何に抵抗してるのか分からないままだった。
2夜目。
見ててとにかく嫌悪するのが、叫ぶシーン。
呆れるって感情が一番近い。
そこに嫌悪が混じってる感じ。
そこから湧いた言葉は
「そんな叫んだって何も変わらないのに…バカだなぁ…」
あぁ、だから私は、
叫べと言われて叫んだあと
虚無感に駆られて嫌な気分になるんだ。
「なんでこんなに叫ばせるんだろう?!」
って、ずっと感じてた。
何も変わらない。体力消耗して何も得られない。
アホらしい。諦めなよ。
そう思いながら叫んでたのかもしれない。
だから、虚無感だったんだ。
ってことは…私は10歳当時の世界のまんまだった。
うわっ!!!!!!
全然、前提変わってなかった。
ちょっとガッカリした。
そんな2夜目。
相変わらず、芝居の良さとかは分からない。
そして、オーラス第3夜目。
気づいてしまったら、本当に毛嫌いするようになった。
叫ぶシーン。
けど、何度も言うけど、私の中でHAPPY理論は真理。
HAPPYちゃんと好みは違う。
だって私は、安室奈美恵とか浜崎あゆみとか
全然興味なかった。
軽音部の先輩がコピーしてた洋楽の方が
カッコイイと思ってた。
だから、本当に合わない。
だけど、伝えたいことは受け取りたいから
イベントに参加し続けてるのだ。
そして気づいた。
頑張ろうが、不貞腐れようが、
成功しようが、失敗しようが、
私は母に認めてもらえない。
動くだけムダ。
頑張った後に、成功した後に得られるものが、
不貞腐れた後に、失敗した後に得られるものと
一緒だと気づいて、虚しくなった。
意味を見出せなくなった。
母の評価に雁字搦めに縛られて、
動かないことが最も楽だと気づいて逃げた。
だから、10歳で人生を諦めたんだ。
だから、頑張ってる人に
「よくやるなぁ…」って冷めた目で見てた。
成功したらしたで、
「あれだけ頑張って成功しなきゃおかしいでしょ。
私だって、頑張ればそのくらい行くよ。
まぁ…私は、頑張りたくないけどね。」
そんなふうに生きてきた。
なんだ、言い訳して逃げ続けた人生だったんだ。
そりゃ、虚しいよね。
諦める人生、もう卒業したいな。
ここまで来た。
凄いよね。
芝居に興味なくて、見てもつまらない。
意味わからないって状態なのに、
めちゃくちゃデカイ気づきを頂けた。
こういう体験をさせてくれるから、
趣味嗜好が違っても、
HAPPYちゃんのイベントはやめられない。
彼女がどれだけ高い視座で、
どれだけ深い静けさからイベントを創ってるのか。
本当に凄い人だと思う。
素敵なイベントをありがとうございます。
3夜見終わって
真理芝居は、物語を観るのではなく、
自分の中の物語を観る時間だったのかもしれない。
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