第10章:「一人じゃ無理」が確信に:私が見つけた継続の秘密
なんどもチャレンジした。
3ヶ月集中だの、100日チャレンジだの。
そのようなプログラムに加入しては、続ける努力をしたの。
しかし、プログラム中は続けられるんだけど
終わると私のチャレンジも終わってしまう。
自分一人で続けることができない。
私自身、ルーティンワークが
苦手中の苦手なのは自覚していた。
だからこそ、自己嫌悪に陥るよりも
「苦手なこの私でも続けられる方法って
一体どこにあるんだろう?」と
半ば諦めつつも、常に解決策を探し続けていたんだ。
そんな中
HAPPYちゃんのプログラムに参加した時
丹田を“お宮”に見立てて
自分の中の神様に100回お参りするという瞑想があった。
その時に、HAPPYちゃんが言っていたの。
最初は『意味あるの?』と感じるのは当たり前。
エゴが静けさを嫌がって暴れているだけだと。
でも、その違和感や思考をジャッジせず
ただ観ていくことが大事なのだと。
気づいたら
体の感覚に目を向けることが自然になっている。
自分に手を合わせたり
丹田に触れたり
呼吸に意識を向けたり…
21日前にはなかった感覚。
今ここまで変われたのなら
これからもっと変わるに決まってる。
内に意識を向ける習慣がついた今
積み重ねていったら
――激変化まで行くに決まってるじゃん!!
丹田にお参りする瞑想を試すと
それまでの瞑想とは比べ物にならないくらいの
「静けさ」を感じた。
まるで鏡面のような湖みたいな状態で
心が清められる感覚だった。
HAPPYちゃんが
「内なる自分の神にお参りする」
と言っていたのを思い出す。
その言葉は、まさに「ああ、そうか!」と
霧が晴れるような感覚で
私の体感と見事に繋がり
すんなり納得できたんだ。
そっか、臍下丹田がおそらく奥宮じゃないかな。
本宮が中丹田
そして、鳥居辺りを上丹田とすると
身体がご神体なんだな。
そして、瞑想は、その神様にお参りに行ってる。
ようは、祈りであり、本来の自分、
つまり「何もくっついてない自分」に戻っていくための
神事ってことか!と気づいたの。
瞑想がそんなにすごいことだとは
気づいてなかった。
そして、お百度参りで鏡面のような心の
凪(なぎ)を体感した後
まるで堰を切ったように
次々とアイデアが降りてきたの。
このコミュニティも
その時に生まれたアイデアの一つなんだ。
これはもう「希望」というよりも
「体感」として確信した。
「このまま積み重ねていけば
自分らしい道が拓かれて
本当に激変するに違いない!」ってね。
HAPPYちゃんが言っていた
「ここから積み重ねて行ったらどう??
激変化まで行くに決まってるじゃん!!」
という言葉通りなのではないかと感じたんだ。
でね、HAPPYちゃんがね
「私だって、一人じゃできないから
トレーナーや先生に伴走してもらってるんだよ」
と言っていたの。
その瞬間、ハッとしたんだ。
私も、一人じゃできない。
瞑想を毎日続けることが。
「一人でできない」って、まさに私だった。
私自身、勉強や趣味も塾や習い事など
誰かと一緒じゃないと続かないタイプだった。
なのに、なぜか瞑想だけは
「一人でやるもの」と思い込んでいたんだ。
初めて瞑想
(お寺だったから、瞑想じゃなくて禅だった気もするけれど)
したのは
小学校の頃の南無道場でみんなで一斉にやっていたのに。
プログラムに参加して続けてきたのに。
なぜか、一人でやらなきゃいけないと思っていたの。
そんな時にHAPPYちゃんの
「私だってトレーナーさんや先生に伴走してもらってる」
という話を聞いて
「え、そうか!私も一緒にやってもらえばいいんだ!」と
まさに「その手があったか!」と
目からウロコが落ちるような発見と
安心感を同時に覚えたんだ。
そして、HAPPYちゃんが
こんなことを言ってくれたの。
ここで成功できる秘訣は
『伴走者』と『磁場』の力。
私自身も一人でやっているわけではなく
支えてくれる人がいる。そしてもう一つ大きいのが
この場のエネルギー=磁場。
気づきの『周波数』は、一人で感じるよりも
みんなで感じるとどんどん広がっていく。
まるで一本の桜よりも、満開の桜並木のように。
たくさんの気づきが共鳴する場所に身を置くことで
自分一人では立ち止まってしまうようなときも
『できる!いける!』と前に進める。
他人の力=他馬力を借りながら、自然と変化が加速していく。
▶ 次の記事の予定は…
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