自分への態度が他人からの態度
今にして思えば、私の周りに居た人は
母に似た部分を持っている人ばかりだった。
産まれてくる際、母親を選んでくる
というスピリチュアルな言葉に
産まれる前から見る目が無かったと落胆した。
何をやっても
パーフェクトが当たり前。
更なる高みを目指しなさい。
出来なければ
こんな事も出来ないなんてみっともない。
と罵られる。
10歳で頑張る事に疲れてしまった。
どちらに転んでも厳しい事を言われるなら
やらずに厳しい事を言われる方がマシ。
そう感じて人生を諦めて逃げまくった。
いつも穏便にヘラヘラして
だけど、元々は感情移入が激しいタイプ。
感情が、すぐ表に出るタイプだから
余計に弄られる。
都合のいい存在として扱われて来た。
唯一の反抗が諦めるだった。
そりゃ、どうでもいい人しか集まらない。
HAPPY理論に出会ってから
自分を見るという事に
ちょっとずつチャレンジしてる。
4年も居て頭角を現さない事を鼻で笑う人もいる。
それでも、私のペースで
色々チャレンジする事で気付きをもたらし
過去の自分より今の自分の方がしあわせ
と思えるトコまで来ている。
自分の感覚を変える事が
世界を変える事になる。
本当だなって思う。
今、友達と呼べる人は、ほとんど居ない。
その代わり
引き立て役にと連れ回す人も居なくなった。
私の勘だからハズレるかもしれないけど
これから、
本当の友達に出会えるだろうと思ってる。
私のプロフィールを変えたように
自分の好きを表にちゃんと出していけば
ちゃんと類友が現れると思っている。
HAPPYちゃん大好きだけど
HAPPYちゃんが好きな物が好きな訳では無い
HAPPYちゃんの音楽素敵だなって思うけど
実際、聴くのはSiM
HAPPYちゃんが可愛いって買ってるモノを
買いたいとも思わない。
だから、HAPPYちゃんのイベント大好きだし
会いたいとも思うけど
HAPPYちゃんと遊びたいとは思った事がない。
私の中では芸能人と同じ存在。
恐らく、この違いが頭角を現さない理由の1つ
でもあると思う。
なんでも当然と言われて来てるから
必要とされるのがとっても嬉しい。
自分を殺してでも対応したい。
承認欲求がめちゃくちゃ強い。
その私が、
必要とされる事に全力から
自分の好きに全力へ切り替える。
認識してる部分は簡単だ。
問題は…
認識してない部分
HAPPY理論に出会ってから
自分を見つめるようになって
認識してない自分の多さに驚いた。
母に感じた気持ち。
どれだけやっても見てるのは
世間に自慢出来る結果だけ
私の思いや感情はどうでもいい。
自分でもやってた事に気付いた。
自分をしっかり見る事が出来れば
私をちゃんと見てくれる人と
きっと友達になれると思う。
私の仲間を作るんだ。