私が感じた母親像
1つ気付いて言葉に(ブログ投稿)すると
芋づる式に色々解ってくる。
「マイノリティ」
「他人と違う」
「女子の集団が苦手」
「同世代と感覚が異なる」
コレ等全てが、私にとっては【罵倒】だった。
と気付けた。
確かに
パールちゃんがトキメク事柄に
ミカちゃんの心が震える事柄に
アイキンがテンション上がる事象に
HAPPYちゃんのキャピキャピに
私はほとんど
テンション上がらない。
コメントも拾ってもらえる事が少ない。
テンションアゲアゲでキャーキャー出来ない。
だから私はダメなんだ。
ここに辿り着いてた。
それも無意識に
だけど、よーく見て
誰1人、全く同じモノに
テンション上がってる訳じゃない。
なのに、同じモノについて
一緒にテンション上がらないって事で
無意識に自分にダメ出し
机の下でバレないように足を踏みつけるような。
ねぇ、どんだけ自分を虐げて来たのよ?!
ってか、こういうエゴキンって
ほとんどが、脳内母じゃない。
幼少期、どんだけ突き落とされて来たんだろう?
そして・・・
今まで、生き抜いてくれてありがとう。
っと自分に感謝した。
今はどうだか知らないけど
学校とは個性を失わせ、
上司の命令を忠実に遂行する人間を育てる教育
だと思っている。
故に
右へ倣えの精神で皆と同じである事。
同じだけれども文武は抜きん出る事。
コレを善としているエゴキン(脳内母)は
個性的な私に一挙手一投足ダメ出しをしているんだ。
私自身、昔の右へ倣えが大嫌いなのに
親って、本当に偉大な存在だ。
だからラスボスなんだ。
だけど、本当の母親ではない。
幼少期、私が感じた母親像。
本当の母親の想いと
私が感じた母親は違う。
だけど、未だに私をイジメているのは
私が感じた母親像。
コレがラスボス
認めて貰わないと
受け入れて貰わないと
生きていけないという恐怖
恐怖や不安・焦りからの行動では
気分良くはならない。
正体が判ったのだから
コレからはもう少しエゴキン対処が
早く出来るようになるかもしれない。
善悪、正誤を超えた場所へ