色々解って来た今再度まとめてみる
人は独りでは生きられない
最近、気付けた。
自分との対話ももちろん大切だけど
他人の違う価値観を見せて貰う事で
自分の価値観を認識する。
だから他人との関りが大切なのだ。
自分だけでは気付けない。
そんな気付きも他人との関りから
他人と関われる事はありがたい事なんだと
再認識した。
「クッッッソッ!!!絶対認めさせてやるっ!!」
コレが私の原動力だった。
友達に
パートナーに
同期に
先輩に
上司に
「ココにつなこ在り」
と認めさせるために
努力と根性で動くための原動力が
常に怒りだった。
しかし、これらは、中ボスでしかなく
本当に認められたかったのは
唯一、ラスボスの母親のみだった。
おそらく、母親に認められれば
その他の中ボスはどうでも良かった。
なぜなら、その他の中ボスは
全員、母のような振舞をする人ばかりだったから。
子供の頃のワダカマリは
勇気を持って
子供の頃はこういう想いがあった。
だけど、こんな態度を取られて悲しかった。
こういう話し合いをすると
お互い大人になっているから解消する。
なんて、カウンセリング的なところで
謳われているが。。。。
お互い大人になっていなければ地獄を見る。
私は、大人になって、複数回
性懲りもなく訴え、その度に
「おまえが全部悪い」
で叩きのめされた。
このお陰で、拗れまくったけど
このお陰で、どん底まで堕ちる事が出来た。
「母に認めさせてやる」
この怒りを原動力で行動している時は
どこまでも言っても世界は世知辛い。
コーチングに入ってるのに
私側から見れば、
イジメを受けたあげく強制退会
なのだ。
相手側からすれば、別の意図があるのだとしても
相当我慢強い私が、
多重人格になるかもしれない瞬間を垣間見るほどの
強いストレスは、イジメと判断してもおかしくない。
自分の中に怒りで制御不能になっている自分と
制御できずに呆然と
ただ見てる自分がいるなんて体験
まず、しないと思う。
エヴァがシンジ君の制御では対応できず
トウジを殺すコトになるシーンがあるのだけど
あんな感じ。
私は、物理的に行動は起こしてないけど
自分の意志で動かしてたハズの入れ物が
自分で制御出来なくなった時
人は、呆然と立ちすくむしかなくなるのだな
と思った。
そんな世知辛い世界が当たり前で
ホッとするとか気分が良いとか
そういうのを感じなかった日々でも
私が、
「そういえば、辛いと感じなかった」
っと気付いたシーンがあった。
それはどんな時だったか??
っと考えてまとめたものが
【はじめの法則】
最初は、こんな名前も無かった。
このまとめたものを同じく
世知辛い世界に居た人に話した。
『HAPPYちゃんみたいなコト言ってる』
コレが私とHAPPYちゃんの初めての接点
HAPPYちゃんは、もっと凄い話をしてた。
だけど、どん底まで堕ちた私には
解った気分では居たけど
肚落ちは全くしてなかった。
だけど、凄いものだと肌で感じた。
次回に続く