“しなければならない”を辞めた
父の介護がしたくて派遣社員の私が
35年の住宅ローンを抱えたと思ったら
会社をクビになった。
派遣社員が正社員の定年まで
雇って貰えると思えない。
前倒しで返して行かないと
全てが無くなるかもしれない。
そんな未来の恐怖を払拭するために
起業を本気で考え、コンサルタントに
なけなしのお金を払って
ビジネスのいろはを教えて貰おうとした。
とにかく
稼がなければならない。
今なら解る。
この自分の焦りが外の世界に反映してた。
コンサルタントに
やりたいピンポイントより、
母数の多い方で集客するのが先です。
と言われた。
母に、
給料が安かろうが収入が無ければ返せないんだから
仕事があるだけありがたいんだから働け。
と言われた。
師匠に
仕事は自分から断るな。
選ばずにやりなさい。
と言われた。
35年の住宅ローンとは、
コンサルタントの母の師匠の言う事を
聞かなければ返せないかもしれない。
という恐怖で自分を雁字搦めにするほど
当時の私には重たいものだった。
今にして思えば、
母の言う事を聞いた時だけ給料が下がった。
私は、金が無くなれば、
仕事は必ず入って来るっていう
楽観主義者で、無職時期は
めちゃくちゃ遊び惚けている。
それでも、収入は右肩上がりだった。
元々、いいように使われるタイプなので
嫌な仕事は、お断りしてた。
確かに、断り方はあると思うが、
住宅ローンを返せないかもしれない
という重圧は、言われるがまま
我慢するという行動を取らせた。
大好きな仕事すら
見るのも聞くのも嫌になるほど
大嫌いになる。
当時の私は、
自分を否定しているつもりは
毛頭なかった。
稼いだことが無いから
先人の言う事は正しいのだろう。
稼ぐために言う通りにしなければ
と思っていた。
【はじめの法則】は自分を否定しない。
と言ってるが、
これは、どうにもならなくて
心の問題かもしれないとコーチングに入った時
何をしても全否定されている気分だった。
そして、さらにどん底を掘って地下に潜った。
その時、恩人に出会って
恩人だけが
肯定するでも否定するでもなく
【ただ聞く】という行動をしてくれたことで
私は、楽になった。
なので、否定しないと書いているが、
コーチングに入る前までは、
自分を否定してる自覚はなかった。
なので、私の最初の1歩は、
“〇〇しなければ”を辞めるだった。
住宅ローン返済のために
自炊しなければ。
母の介護疲れを少しでも軽減するために
自分の時間を削らなければ。
起業のために、ただでさえ
土日開催のお茶会は少ないのだから
お茶会があったら参加しなければ
初めてだから、今まで上手くいかなかったから
教えを乞わねば
こういうのを辞めるとこから始めた。
それが、
好きを傍に嫌いを遠ざける
ってコト。
アナタがアナタを苦しめているのは
否定かしら?
ねばならないという強制かしら?
我慢かしら?
まずは
アナタを縛っているもので
辞められるものから辞めてみて。
それだけでもだいぶ楽になる。