第1章:「こうあるべき」を超えて:なぜ私が“卑弥呼”に?
HAPPYちゃんがよく言っていた
「存在設定を決めなさい」という言葉、ご存知ですか?
これはね、その設定でずーっとっていうより
今ココで
「今日の服を選ぶように、
自分の“在り方”も自由に選んでいいんだよ」
という、ワクワクするような考え方なの。
さて、ここからは、私がどうやって
「令和の卑弥呼」という存在設定を見つけ
それが「つな台国」を創る大きなきっかけとなったのか
その物語を語っていくね。
天皇でも、愛の女神でも、
「私はこう生きる」と自分で決めていい。
その自由さに、私はとても救われたんだ。
そして、ある日ふと
「じゃあ、私は……卑弥呼がいいかも!」と思ったの。
それは本当に突然のひらめきで
その時の私は歴史の卑弥呼についても
ほとんど知らなかった
のに
なぜかすごくしっくりきたんだよね。
私が思い描いた卑弥呼像は
高いところから手を振る“遠い女王”じゃなくて。
「助けて」という声に寄り添って話を聴くような
民と共に生きる存在。
孤高ではなく、国民と共に歩む女王としての卑弥呼だった。
ところが、実際の卑弥呼は、 邪馬台国の女王で
「鬼道(呪術・シャーマン的なもの)」を使い
人前にほとんど姿を見せず
言葉を取り次ぐ男性を通してしか
接することのなかった存在だったらしい。
私が抱いていたイメージとは
かなり違っていたんだよね。
それでも「卑弥呼がいい」という気持ちは
不思議と揺るがなかったの。
そんなとき、HAPPYちゃん仲間のパールちゃんの言葉が
私に大きなヒントをくれたんだ。
前に、パールちゃんが「令和のシャネルになる」
って言っていたことがあって。
それを聞いた瞬間
私の中の「こうあるべき」という
勝手な制限が
ガラガラと音を立てて崩れた気がしたの。
「令和の」って付けると、シャネルじゃなくて
「シャネルのような」って感じに聞こえて
まったくシャネルと同じようにならなくても
エッセンスを受け継ぐみたいな感じでOKなんだ。
と、私の中の勝手な制限が外れていったんだよね。
「自分をどう呼ぶかで、
現実って本当に変わるのかもな」って。
「どう呼ばれたいか」って、
「自分をどう生きたいか」にも
つながっているんだなと
パールちゃんのこの行動から
「自分をどう呼ぶなんて、自由に決めていい」
という、大きな赦しを得たような感覚だった。
そして、ある日のHAPPYちゃんのワークショップで
「存在設定を口に出して伝える」という
ワークがあったの。
その時、ふとパールちゃんの「令和のシャネル」が
頭をよぎったんだよね。
史実の卑弥呼はシャーマン的な存在だけど
私はもっと日常の中で人と繋がり
寄り添い合う“私らしい卑弥呼”として在りたい。
この理想と史実の「ズレ」を
「令和の」と付けたら
しっくりくるんじゃないか?
そうひらめいたの。
不思議と、「令和の卑弥呼」と名乗ることには
抵抗がなかったんだよね。
そう名乗ってみたら…
言って回った人たちが
「いいね♪」「それ、素敵!!」
なんて色々言ってくれて
自分の存在設定としてすっかりお気に入りになったの。
そして、この
「令和の卑弥呼」
という存在設定が
やがて「もっと繋がる仲間が欲しい!」
という想いへと繋がり
今のコミュニティを創る大きなきっかけとなるとは
その時の私はまだ、知る由も無かったんだよね。
▶ 次の記事の予定は…
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