嫌なことが起きると自分の成長に気付く
自己否定が強い時は、このお話は通用しない。
今の私は、【はじめの法則】で、ある程度
自分を認められるようになってきたから
人間関係が壊れても
過去の自分の行動のダメだしが減った。
以前は、ずーっとやってた。
あの時、〇〇すれば良かったのか?
こっちの時、△△したら変わっていたかな?
でも・・・
それやったら、私が壊れる。
そもそもなんで、信用しちゃったんだろ。。。
みたいな感じでグルグルしてた。
今でもやる。
やるけど、抜け出す時間が早くなった。
これは、ちょっとだけ前提が変わったから。
ずーっとグルグルやってた頃の前提は
【要らない子】故に
本当は不必要なんだけど
そばに置いていただいている
という世界(定義)だった。
だから、人間関係が壊れると
そばに置いていただいているのに
私の我を出したから、置いとけなくなった。
置いておきたくないと思わせた私の行動は何?
という思考なわけ。
つまり、私が悪いと思っている。
でもさ、
本当のホントのほんとの心の奥底では
解っているんだよね。
傍に置いていただいている
ってのが、ウソだってこと。
それが、本当にホントにほんとに
正しいのであれば、
我慢できないなら死ぬしかない
って思ってもおかしくないのに
私が壊れちゃうっ!!
って嫌がってるんだもの。
みんなこうやって
本音が漏れているんだよね。
私の場合、仁王立ち状態過ぎて
逆に気付きにくい。
だから傍に置いていただいているって
感覚は消えつつある。
【はじめの法則】のお陰だと思う。
それでも、スパッと「はいっ!次っ!!」
ってのは、まだ出来ずなんだけど。
恨み節や後悔の念が出てきたと気付いたら
「どうだったら幸せ??」
を自分に聞くようにしている。
人間関係壊れてしまった時も
私は悪くないっ!!アイツのせいだっ!!
ってやってしまったり
置いていただけなくなった原因を考えるより
私も悪くないっ!!
失敗したと思うのも
自分の悪いトコ探しも
相手が悪いと思うのも
全部OK
だけど、
本当はどうだったら気分良かった??
この時の回答は
アイツが〇〇してくれたら
って言うのではなく
こういうやり取りが出来て
和解できる流れ
みたいに当事者を抜く。
そんで、事象だけに注目する。
最初は難しいんだよね。
アイツがこういう言い方をしてくれたら
アイツが〇〇してくれたら
ってなっちゃう。
私の場合
イライラした口調でも口が悪くなっても
多少攻撃的でも、問題ない。
だけど、
聴く意思はお互いに持っていたい。
そうすれば、話し合いになると思ってる。
お互いに誠意をもって喧嘩する。
コレが出来たら、いいなと思っている。
相手が何かをしてくれたらではないでしょ?
もっと成長したら、
もっと違う答えなのかもしれない。
今の段階での私の理想。
お互いの絆が強くなる喧嘩をしたい。
本当にコントラストなんだなぁ・・・
嫌な事が起こることで、自分の成長に気付き
また、望みが出てくる。
ネガティブは悪じゃない。
本当だと思う。