最後の学びをありがとう
母との折り合いが非常に悪い私は
父が居なければ、どうなっていただろう?
というくらい。
父の解りやすい愛のお陰で
とりあえず、生きて来れた。
だからこそ、父の介護をしたくて
同居を決意し、家を建てた。
父は、病院嫌い
延命治療拒否の人だった。
家に居たい。
認知症を発症してからも
その気持ちは、ずーっと変わらなかった。
父のお世話をしたくて決めた同居だが
母との同居は想像以上の苦痛で
介護を放棄した。
死に目にも会わせないと言われていたので
諦めていた。
しかし、父の頑張りと家族のとりなしで
3日程度、1週間はもたないと言われた父が
10日以上頑張ってくれた。
訪問医師からは、
臨終を迎えたら連絡ください。
それまでは、ご家族との時間を
お過ごしくださいとのこと。
苦しそうだからと
体の向きを変えようとしても
ネットからの情報だけでは
上手く向きを変えられず
絶食は死に行くだけ。
甘酒を漉して飲ませたり
経口補水液を含ませたり
なんとか戻ってきてもらおうと
必死だった。
知識が無いというのは、無力だ。
ただ見てるだけ。
どうにもならない。
自分の気持ちを伝える事がいかに大切か。
父は、身を持って教えてくれた。
遠慮してる場合ではない。
こういう風にしたいんです。
何か方法はありますか?
情報を持っていそうな人に聞いてみる。
そのお陰で、元看護士長が来てくれた。
呼吸もラクそうに感じる。
もっと早くに切り替えられれば・・・
そんな後悔もある。
だけど、自分の精一杯の介護は出来たと思う。
家族をもっと頼ろうと思ったし
積極的に気持ちを伝えていこうと思った。
望み通りになるかどうかは別問題
だけど、自分の気持ちを伝えるコトで
望み通りにならなくても納得がいく。
世間がどうとか
周りの迷惑とか
本当に関係ない。
純粋な自分の気持ち
コレを伝えるコトは、
良い方向にしか動かない。
正解を探す人生はキッパリ辞める。
コミュニケーションをもっと密にする。
最後に父はそれを教えてくれたと思う。
そして、自然と
母への手出しはしないが、
金の心配はさせないように働こうと思った。
追い出したかったし、
関わりたくないし、
出て行きたかったのに
あまりの弱さに
守らなければと思った。
もっともっと
ココロを豊かにしようと
今回の件で思った。
関わってくれたすべての人に
父は愛されていた。
私も、最後は、父のように
愛されて終わりたい。
非常に穏やかで
笑っているような父の顔を見て
悲しいけど、
幸せな生涯だったのだろうなと。
父の最後の晩餐は
飲み込むことは出来ないけど
手作りのチョコケーキ
甘いのが大好きだった父に
甘味だけでも感じて貰えたのではと思う。
最後に
生まれ変わっても、私は
父の子として生まれたい。
長い旅になるだろうから、
大好きだった自家製パンと
元気になったら行こうと
約束してた赤ちょうちんの
焼き鳥を入れるね。
父さん、沢山の愛をありがとう。
大好きです。