誰かが癒してくれないと癒せないは幻想
私には、癒してくれる人が居ない。
だからツライままなんだ。
以前は、そうやっていじけていた。
この考え方は、藤川美帆さんのいう「他責」であり
HAPPYちゃんのいう自分の操縦席に自分を座らせていない状況。
こういう考え方だと、自ら動くことは、
本人的にはしてるけど、周りからは
いじけてるようにしか見えない。
yahooニュースにあった
太田光が自ら語った
「ネットでなくてテレビだからこそ伝えられること」
~川崎20人殺傷事件について~
からの抜粋
「たまたま美術館に行って、
ピカソの絵を見たときになんか急に感動が戻ってきたの。
何を見ても感動できなかったんだけど・・・。
ピカソを理解できたってわけじゃないんだけど、
そんときの俺は
『ああ、こんな自由でいいんだ』と。
『表現って・・・』」
yahooニュースより
全文はリンクから読んでね。
癒しってさ、
何かをキッカケにして、
気付きを得て、
自分自身に許可を与えるコト。
HAPPYちゃん風に言えば、
「思い出す」ってこと。
だって、太田光はピカソの絵じゃん。
誰かに、
「そっか。そっか。大変だったね。」
って聞いてもらったわけじゃ無いでしょ?!
コレが出来るようになるために
HAPPYちゃんが言う
ほっとすること
気分が良くなるコト
をひたすらやるのね。
私がいう【好き】をやること。
最初は、気付けないんだよ。
いじけてるから。
どうせ・・・
私なんか・・・
そう思ってる人に
「そんなことないよ。」
って言っても
「お世辞言ってる」とか
「バカにしてんの?!」とか
変に捉えられちゃうの。
だからね。
本人が気付くしかなくて
周りから教えてあげることは出来ないの。
世間体や、常識と思っていることから
逸脱する気持ちに
蓋をすることを辞めない限り
気付けない。
自分の【好き】を後回しにしない
最優先事項にする。
徹底してごらん。
周りが優しくなるから。
それは、
自分が自分に優しくなったからだよ。
全ては自分で起こしてるんだよ。