気づきが増えてきた、これからの私へ
ヒカルの本を読んでから、
毎日1000字以上のブログを書くことを始めた。
それに加えて
コミュニティ内でInstagramのライブ配信もして
帰宅してからもお風呂入ったり、あれこれやってると
寝るのが4時近く。
今日は朝からお菓子教室のレッスンがあったから
朝のルーティンもしっかりこなした。
起きたらすぐ健康管理のために体温を測って
トイレ行って、体重を測定。
それから、コミュニティで朝のInstagramライブ配信。
朝ごはんを食べて、身支度して、
8時過ぎには家を出る。
気づけば、けっこう忙しい1日を送ってる。
移動中もチャットGPTにあれこれ聞いてみたり
昨日のライブで感じた「思いっきり楽しむ!」
っていう感覚を意識して
今日もお菓子教室へ向かった。
昨日のライブの前、瞑想の時間があった。
そこで、
「子どもの頃、自分の感覚で無邪気に楽しんでいた自分を思い出して」
と誘導された。
目を閉じて思い返してみたけど、
私、物心ついた時にはもう、
「自分の感覚で動く=怒られる」
って思い込んでいることに気付いた。
楽しそうにしていたら怒られる。
わくわくしていたら叱られる。
そんな経験が積み重なって、
だんだんと周りの常識を読み取って、
「怒られない動き」を必死に探すようになってた。
だから今、
「わくわくってどういう感じ?」
「自分を大切にするって、何?」
「愛ってなに?」
って、基本的なことさえ、解らないと感じることがある。
今日のお菓子教室では、
「無邪気に楽しもう!」って意気込んで行ったものの
正直、空回りしてしまった気がした。
気付くといつものテンション
無邪気に楽しむが、よく解らない。
そんな内側であれ?あれ?って事が起きてて
レシピを忘れて帰ってきてしまうという結果。
ちょっと落ち込んだ。
「私、やっぱりうまく楽しめてないな」って思った。
でも、その落ち込みの中で、ふと思ったんだ。
無理して無邪気に全ぶりで楽しむのって、
私らしくないなって。
無理に変わろうとしなくていい
無邪気に楽しんでる人たちを見て、
「私もああならなきゃ!」って、表面だけ真似しようとしてた。
でも、それって結局、ガワだけで、心がついていってなかった。
無理に無邪気に楽しむ必要なんてない。
自然体の私で、
小さな楽しさを感じられたら、それでいい。
たとえば、
今日お菓子を作りながらふと感じた嬉しさとか、
誰かと笑い合った瞬間とか。
そんな一瞬一瞬を大事にできれば、それで十分だなって思った。
そして、今日こうやって、
自分の違和感にすぐ気づけたことが、
すごく嬉しい。
昔だったら、ただ落ち込んで終わってた。
でも今は、
「あ、私、無理してたな」
「これって本当の楽しさじゃないな」
って、自分でキャッチできるようになってきた。
たぶん、瞑想を続けているおかげ。
感度が、確実に上がってる。
これからも、焦らず、無理せず、
私なりのペースで”楽しむ”感覚を育てていこうと思う。
小さな一歩でも、着実に。
今日の気づきも、ちゃんと自分の糧にして。
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