私の感覚的な第一フェーズ
どん底に堕ち
母を滅多刺しにしたいと思う程
憎しみにかられ
だけど、最愛の父の為に
生活費と住宅ローンを返すお金とを
稼がなければと
私的には手も足も出せない状態。
私の人生、一生
母にいいように使われて終わるんだ。
という絶望と憎しみ
そこから、恩人のお陰で、
苦しみの毎瞬からちょっとラクになる時が現れた。
それを私なりにまとめたのが
【はじめの法則】
それを周りに話したことで
存在を知ったHAPPY理論
それから4年
私的に
自分の枠=否定の声
と捉えて
自分を否定するものからは
極力遠ざかる
極力っていうのは
住宅ローンをかかえ
光熱費通信費みたいな
ライフラインは総て私が払っている。
最愛の父の為に私的に
ライフラインを切るわけにはいかないし
住む場所がなくなるなんて
そんなことできないから
住宅ローンも絶対。
父が家族の為に頑張って稼いだ
財産も使っちゃっているからさ…
母だけなら、逃げ出しても
罪悪感は全くないのだけど
父の頑張りを見てきたからさ
いろんなものを我慢して
家族の為に娘の為にって
頑張ってくれたのを知っている。
私と母と言ってるコト違うらしいけど
私が自負してるだけで
父の本心は知らないけど
たぶん、一番心配もさせたけど
一番仕事の話をしたのは私だと思う。
だから、父が大切にして来たものを
壊すわけにはいかなかった。
コレだけは、絶対守りたいと思った。
その思いをいいように使った
母に激怒したワケ。
金銭面を放棄することは出来ないけど
母に対応する必要は無いと
気付いて母を捨てた。
親を蔑ろにするな
誰のおかげで大きくなったと思っているんだ。
色々言われた。
母は、私の神経を逆なですることばかり
なんとか怒りだとしても意識を向けて欲しいみたい。
あげくには、
オマエの態度が悪い。
オマエの言い方が悪い
オマエが悪い。
わたし(母)は悪くない。
っと
イヤイヤ期ですか??
って位。
最初は
親のクセに
親なのに
って怒りが湧いたけど
私は、コレを抑え込むことをしなかった。
なぜなら、
親なんだから。
親を捨てるなんて恩を仇で返すようなものだ。
と私自身もいけない事と思ってた。
周りからもそれを抑えろと言われて
我慢する努力をしてどん底に堕ちたから。
枕を母に見立てて
滅多刺しにする勢いで
両拳で殴りまくった。
その内、
呆れるようになった。
最終的には哀れんだ。
同じステージから降りたのだ。
そして、今は、
しあわせだな
っと感じる事が
できるようになりました。
今は、他人事のように見れるようになった。
母は、私にそっくりで
片付けが苦手
だらしない
わがまま
図々しい
だけど、そういうの全部隠して
世間体の為に偽って生きているから
片付けない。だらしない。
わがままで図々しい私が赦せない。
だから子供の頃から無理難題を言って
文句を言えば、わたし(母)が子供の頃は
もっと大変だった。
この位どーってことない。
この程度で弱音を吐くオマエの根性が足らない。
っとイジメまくったんだと
ようやく気付いた。
血がつながっているという事で
自分のDNAが汚らわしいと思っていた私が
血がつながっていようがいまいが、
所詮は、他人。
親だって、合わない人は合わない。
と割り切れたこと。
自分の枠を外したこと。
自分の感情を殺さなかったこと。
つまり
嫌なモノを傍に置かない。
これを徹底したことで退屈フェーズまで移動できました。