どん底から抜け出した話
意識する、しないに関わらず
私達は、いつも何かを選択して生きている。
〇〇するしかなかった。
他に方法が無かった。
以前の私がよく使った言葉。
父の介護をする為に
同居するしかなかった。
本当だろうか?
親がどこに住もうが
通いでも良かったのでは?
介護は、24時間だから
とは言え、私は仕事の為に
睡眠時間を削ることはしなかった。
どん底に堕ちてさらに穴を掘るような
行動を取っていても
自分にとって得と思われる選択をしている。
お金が無ければ生活出来ない。
父は、必死に家族を守って来た。
そんな父に、私の稼ぎが足りない事で
ひもじい思いをさせる訳にはいかなかった。
だから、私の中でお金を稼ぐことが
最重要項目だった。
意識する、しないに関わらず
必ず自分にとって有益な選択をしている。
しかし、この有益が
常識や世間体、思い込み
そういった足枷が
心のダウジング(ペンデュラム)が
反応しない。
または、
反応しても答えを導かない。
本当にコッチで良いのだろうか?
自信を持てない。
不安や焦りが募る。
故に、外に正解を求める。
コレが負のスパイラル
選択の失敗をしたと思う。
次の選択は絶対失敗してはならない。
と力が入る。
不安や焦りが強くなる。
さらに自信が無くなる。
外に正解を求める。
という悪循環でどん底に堕ちる。
ココからの脱却。
恩人が話を聞いてくれたコト。
肯定も否定もせず
どうして、そう思ったの?
なるほどねぇ。
なぜ、そう感じたの?
そういう考え方なのね。
なんていう質問をいっぱいしてくれた。
なので、
私が感じること
私が思ったこと
現象について、ココで、
こういう事があったら
絶対〇〇に決まっている。
みたいな決めつけが多い事に
自分で気付けた。
自分に自信が無いのに
自分すらも信用できないのに
絶対〇〇に決まってるっ!
っていう決めつけがスゴイという
矛盾
自分の思考に矛盾を感じた。
だけど、私が自問自答をすると
あそこで別の選択をすれば良かったのに
なぜ、こっちを選択したの?
みたいな、自分責めを始める。
だから、本恩人の質問力が
本当にありがたかった。
また、
その考えオカシイ
とか
その感じ方間違ってる
などの否定を一切されない。
このままでジャッジされない世界
それが、とても心地よかった。
おそらく。。。
不安と焦りの世界から
安心感という光を見出したんだと思う。
だけど、環境が変わって
対応して貰えなくなった。
その時に、ようやく
自分一人でやるためにはどうしたら?
と考えて出したのが
【はじめの法則】
そして、ゆっくり、ゆっくり
HAPPYちゃんの動画なんかを観ながら
徐々に第一フェーズから
第二フェーズに移行し始めている。
ゆっくりゆっくり
しあわせに近づいている。
始まりは、恩人の
質問力と受け止め力
本当にありがとうございました。