大切なのは勉強じゃなくて心の在り方
私の周りのお友達は、
子持ちのお母さんが多い。
子供への期待
幸せになって欲しい気持ちからの
色々な教育を与える。
子供たち愛されているなぁ
って思うと同時に
親のエゴとも見えてしまう。
私自身子供の頃は頭が良かった。
試験に合格しないと通えない塾で
全国8位の成績だった。
だけど、母の一言で
それまで楽しんでた塾の勉強が
一切嫌になった。
小学校上がる前の子供が
集められている塾で
慶応幼稚舎などの学校に入学するための
お勉強をしている。
そんな賢い子達が集まってるハズなのに
体育の授業中に
「つなこちゃん家に遊びに行きたい」
と言って来たお友達。
社交辞令で
「いいよ。おいでよ。窓から手を振って待ってる」
なんていう、非現実的な話をして
合わせてあげていた。
その授業後、母に無駄口叩いてないで
授業に集中しろと怒られた。
正直、今授業中だから話しかけないで
なんて言えるような精神力を持ってない。
さらに、非現実的な話をしているのを
聞かれたと思い込んだ私は、恥ずかしくてしょうがない。
友達に声を掛けられてどのように断れば良いか
穏便に済ます方法も解らない。
陰でこっそり見ている母にも嫌悪感を抱き
全てが嫌になってしまい
あっという間に成績が最下位まで堕ちた。
今にして思えば、小学生になる前の子が
ここまでの社交辞令と羞恥心とを持っているんだから
子供だからと高を括るのは良くないと思う。
私は、精神力が弱い。
だから、ちょっと嫌な事が起きて
逃げた結果、慶応幼稚舎は、諦められてしまい
入試すら受けず、区立の小学校に入学した。
その後、英会話を始めて
ABCニュースの言葉を聞き取り
ネイティブな先生と英語で
お話出来るレベルまでになった。
だけど、やっぱり精神力が弱くてね。
英語が話せない友達に
まともな発音をバカにされて
日本語英語を使うようになった。
さらに、英会話に行くのも止めて
英語に関わらない生活を続けた結果
今じゃ、まったく聞き取れないし喋れない。
私自身が、もっと自己肯定感が高く
自分は自分。他所は他所。
誰になんと言われようと楽しいから
ずーっと学んで行きたい。
としっかり自分の意見を言える子であれば
バカにされたからと言って止めるコトもなかった。
母の一言で、楽しかった塾が
大嫌いになる事も無かった。
いや、その前に社交辞令で
他人に聞かれて恥ずかしい話をする
なんてことも無かったと思う。
アレが無ければ
あの人がこういうコトを言わなければ
と他人のせいにすることもできるが、
同じことを言われても
好きなコトを続ける人もいる。
故に、本人の心の在り方次第だと思うの。
だから、子供の幸せを願うのであれば
もっとも必要な教育は、
心の在り方を伝えるコトだと思う。
自分軸をしっかり持っていれば
周りに振り回されて私のように
どん底に堕ちるコトも無い。
答えは外にない。
全ては自分の中にある
と教えていれば
鬱になる事も、人生諦める事も
無いと思う。
幸せな人生になると思うし、
失敗しても立ち直れると思う。
本当の英才教育は心の在り方だと思う。
なぜなら、どん底まで堕ちた私が
【はじめの法則】で幸せになって来たからだ。