苦しみも喜びもありがとう
無価値観を抱いている。
これを自認して、思い出した。
私は、自他共に認めるファザコンで
本当に父が大好きだった。
目に入れても痛くない
バカな子ほど可愛い
だから、
私が一番愛されていると自負していた。
だから、介護のために家を建てた。
お前たちの為に離婚しない
そう言ってた言葉を信じていた。
いざ、介護が始まり
この世界のことわりが通用しなくなった頃
父は、私が傍に寄ることを拒否した。
唯一の私の拠り所だった父
あんなに文句言ってたのに…
最後は、母なんだ。
私じゃなかった。
ここで、
ギリギリ保っていた私の価値が
消えてしまった。
父の愚痴を聞き
父の要求に応えて来たのに
私じゃなかった。
それからかもしれない。
母に耐えられなくなったのは。
だけど、私が私として生きる為には
必要だったと思う。
父が私を拒否しなければ、
父が死ぬまで、我慢したと思う。
洗脳状態になり、メンタルDV生活が
容易に想像できる。
父に拒否られたことで
私は、外に求めるようになった。
それが、「仲間が欲しい」
「自分の家族が欲しい」
そっか、誰にも愛されていないと
認識したんだ。
書き換えられていない。
こんなにも愛されたと思っているのに
心の底で、
拒否られたことで信用出来ていなかった。
私は、この世界のことわりが
通用しない状態でも
私を選んでくれる人が欲しい。
エネルギーでのコミュニケーションしか
取れない状態になった時
それでも、
私が1番と言ってくれる人が欲しい。
求めているのは、コレだ。
父の拒否
実は、相当ショックな出来事だったみたい。
何年かかって気付くのよ(笑)
でも、今、気付いて
一連の流れを見れば、必要なコトだった。
そして、父は、最後まで嫌な顔をした。
それは、ココロの底からではなく
照れ隠しのように見えた。
私だけかも知れない。
父が私を愛してくれたことに
変わりはない。
料理が得意で
アイデアマンで
器用で
スーパーや市場でのお買い物と
喋ることがストレス発散
一途で家族想い
なんでも一緒に遊べる
美味しいモノが大好きで
一緒に飲み食いできる
努力家で
一生懸命で
いつも見方で
だけど、問題だと思ったら
しっかり怒ってくれる。
私もこんな人になりたい。
そして、こんな人と仲良くなりたい。
望みがちょっと具体的になった。
嬉しい。
最近、ハニートーストを作っている。
私より、父のテンション上がりそうな
甘いおやつが出来上がった♪
父を思い出すと私も優しい気持ちになれる。
私の作るお菓子やパンが大好きだった父
手作りすることでホッと出来るのも
また、ギフトだったなぁ。。。