友達のアドバイスでの気付き
友達が心配して、誘い出してくれた。
それが、とても嬉しくて感謝した。
女はこうあるべき
男はこうあるべき
人はこうあるべき
社会人はこうあるべき
学生はこうあるべき
老人はこうあるべき
それぞれが持ってる常識
この意識が強い場合
生きるの辛くない??
元々、私もこのべき論者なの。
「べき」は使わなかったけど
「当然」「くせに」はよーく使ってた。
親なんだから当然でしょ
先生のくせにちゃんと見てない
みたいな感じ。
べき論者って言っても
「べき」とは言ってない人も多い。
んでね。
こういうコト言ってる人って
実は、自分にもめちゃくちゃ厳しいの。
こんなことで休んでられない。
なんとしても、ここまではやらなきゃ
みたいな感じでさ
脳内で自分にムチ打ってるの。
私は、祖父の死の後悔から
母の死で後悔しないように
という想いと。
父の介護をしたいという気持ちで
同居を決めた。
しかし、クッション役だった父が
機能しない同居は、修羅場でしかなかった。
二人三脚で仲良く介護をしたかった。
半日家に居ない私と一緒に介護をする為には
報・連・相は必須だと思ってた。
だけど、親の私が、なぜ、
子供にお伺いを立てなければならないっ!
という感覚の母とは
二人三脚ではなく、主従関係。
最初は、赦せなかった。
だけど、ある程度受け入れた。
母はそうなんだ。
だけど、そこで、私が従うのは
また違うんだよね。
私の心が壊れてしまうから。
このバランスを取るのが
めちゃくちゃ大変だった。
愚痴を聞いてくれる人は、
他の家族に助けを求めた方が良いよ。
人が変わるとさ、受け入れ方も変わるから・・・
ってアドバイスをくれるの。
同じ穴の狢だからなのか、私の友達は
「頑張ってる」って言ってくれるんだけど
他の家族は、見て見ぬふり。
既読スルーなんて当たり前。
なんなら、年老いた母に対して
なんて酷いことをしてるの?!って感覚。
娘なんだから
親なんだから
ってべき論者の私は、
母の感覚に耐えられない自分を脳内で罵った。
父は長いこと我慢したのに・・・と。
めちゃくちゃ辛かった。
平日半日外に出て、帰って来て母曰く
介護の真似事程度のコトをし
休みの日は、食事の支度をする日々
なのに、
仕事に逃げてちっとも介護しないと
罵られていた。
一生懸命自分の気持ちを伝えた
どう頑張っても伝わらないと知った日
二人三脚で介護することを諦めた。
私の好きを追及することにした。
娘として、女として、人として
私の今の選択は、最低だと思う。
それでも心が壊れる辛さが耐えられなかった。
自分で見つけた【はじめの法則】を追及することで
あの、苦しい日々から卒業できた。
もっと幸せになるために
地道にやってる【はじめの法則】
頑張り過ぎて動けなくなるくらいなら、
自分のべき論を捨てて
最低な生き方してみらどうだろう?
私みたいに前より幸せになるかもよ。