アナタの枠の中に納まらないだけかもしれない
昨日ね。書いた事。
自分を大事にしてないってこと。
だけど、それがダメなわけではない。
だから、
大事にしなくても
大事にしても
どっちでもいい。
選択権は自分にある。
イライラし続けても
視点を変えなくても
まったく問題ない。
否定しても
肯定しても
なんでもOK
どんなに苦しくても辛くても
どんなに楽しく幸せでも
人生は総て上手く行く方向に流れている
HAPPYちゃんの受け売りだけどw
最近、本当にそうかもって感じている。
コンサルタントに依頼して
コーチングに入って
ボロボロになって、自分の力だけで
って決めてから、いろんな気付きを得ている。
もし、コンサルタントも
コーチングも私にピッタリの人に依頼してたら
ココまで、自分を信じて動くことが出来ただろうか?
もっと遡って、母が私にとって酷い対応をしなければ
私は、変わりたいと思わなかった可能性が高い。
そしたら、こんな風に
気づきの多い幸せを感じる日々は
訪れていないかもしれない。
渦中の時は、滅多刺しにしたい程の憎悪。
消えたいと思うほどの絶望感
出来る事なら味わいたくない
だけど・・・
私、めっちゃ鈍感なんだよね。。。
この位の事が起きないと
気付かないし、変わりたいって思えない。
だから、ハードな人生なんだと思う。
繊細な人はさ、
ちょっとしたアクシデントで気付けるんだよね。
だから、自分を大切にしていた方が
楽なんだよ。
でも、自分に無頓着でも
私みたいに奈落の底に突き落としてでも
気づかせてくれるから
最悪だけど
総ては、幸せのために
3次元のルール
だから、
歯を食いしばって我慢する必要はない。
流されていた方がラクに幸せに近づける。
だけど、3次元のルールって
幸せに向かうのは、
お化け屋敷を通って行く感じ。
幸せの前は、必ず恐怖が来る。
私が一人でやってみようと思って
自分の好きに従う決意をした後に
起こった最初の恐怖は
強制退会させられたコーチングの仲間に
メッセージを送る事だった。
「なんなのこの子、この期に及んでなんなの?!」
っと思われるんじゃないか。
迷惑なんじゃないか。
そういう恐怖。
別に深い付き合いでもなかった。
ネット上で頂いたアドバイスが、
なんだか、心地よかった。
そんな記憶があるだけ、
だけど、とても気になる存在だった。
その恐怖に打ち勝って
メッセージを送ったところ
素敵な仲間となった。
だから、恐怖には絶対負けないで欲しい。
必ずその先に幸せがある
と思っている。