差別じゃなくて、区別の方だと思うよ。
クリスマスに
『仲良くやっていこう』と言われて
もの凄い嫌悪が湧いた。
私からすると、
謝罪していると感じるし
ココロ改めたんならって私もそう思うし
仲良くやってこ💓
って認識なのね。
だけど、言った相手の認識はたぶん違う。
私の体感だし、相手に確認したわけじゃ無いけど
今までのことは水に流してやるからって感覚が
言葉の端々に感じられる。
一人でやるのが大変だから
都合よく使うために言ってるように感じてしまって
人間なんだから完璧には出来ないとかなんだとか
あなたのこういうトコロが悪い。
それを直せば、穏やかに暮らせるんだから
やりなさい。
そう言ってるように聞こえる。
私を認めたわけじゃ無い。
そう感じて、もの凄い嫌悪が湧いた。
と気付いた。
以前は、自分の定義で、こういうってことは
こういう気持ちに違いないって思って対応して、
裏切られたって思ってたのね。
コーチングの先輩に
色眼鏡で世界を見ている。
と教えて貰った。
当時は、色眼鏡をかけているから
正しく見れてない。
あなたがダメなのよ。
直していきましょ。
って言われていると感じてた。
今、この話を思い出して思う事。
私がダメなんじゃなくて
自分と同じ定義で物事を言ってるかどうか。
または、どういう定義で物事を言ってるか。
を見定めればいいのであって
自分の定義は、ダメなわけじゃ無い。
同じ定義で生きてないってことを前提に
動けた方がラクだよ。
コレが、本当の意味だと思うのね。
教えて貰った当時は
私が直さなきゃっ!!って必死だった。
つまり、自己否定どっぷりなわけよ。
私は私で良いし
相手は相手で良い。
嫌ならその事象を断ればいい。
相手そのもの存在まで、否定しなければ、
私がラクに生きられる。
これは、めせもあ。の動画で、
あおいくんがあっさり断っているのを見て気付いた。
【はじめの法則】をやって、ここまで変わったよ💓