第7章:幼少期の孤独と度重なる挫折が私に教えたこと
「無理。」「面倒臭い。」とバッサリ切り捨ててしまう。
――そんな人生を送ってきた私が、どうして今
こうしてコミュニティを立ち上げようとしているんだろう?
なぜ、どん底の時期を経験しながらも
「幸せの先の豊かさ」を目指せるようになったのか。
この物語は、私が「つな台国」を創るに至った
その背景にある人生の原点なの。
そして、私と同じように
「継続すること」の難しさを感じている
あなたへ届けたい「希望」が
この物語には詰まっている。
もし今、「私には無理だ」と感じていたり
「この苦しみはいつまで続くんだろう」と
出口を探しているのなら
ぜひ最後まで読んでみてほしい。
きっと、あなたの心にも
小さな光が灯るはずだから。
「お前は本当にダメな子だ」
――そう直接言われたわけじゃない。
でも、幼少の頃から、
私は周囲から常に否定的な言葉や態度で
扱われていると感じていたんだ。
男勝りな行動は「女の子らしくない」とたしなめられ
頑張りも「できて当たり前」と評価されなかった。
褒められることはなく、失敗すれば失望したような目。
言葉でキツいことは言われないけれど
子ども心に、がっかりさせてしまったという罪悪感や
自分はダメなんだという自己否定を抱く日々だった。
ある時、いとこが母親に
フォローしてもらっている現場を見たんだ。
私の母は
「そういうこと言われるような行動をしてるアンタが悪い」
と一切フォローしてくれず
世界が狭いこともあって
心身ともに孤立を深めていった。
この時期に、私は「頑張っても報われない」
「自分は価値のない人間だ」という
根深い思い込みを抱くようになって
10歳にして、人生を諦める感覚を覚えたの。
シミュレーションして「どうせダメ」と考えるのではなく
「頑張って何になる?」「やらない」と
ただただ、バッサリ切り捨てるような
そんな生き方を選んでしまったんだ。
その後の人生は、この「無理」「面倒臭い」という
諦めがベースにあった。
学生時代は、友達だと思っていたのが私だけだったと
卒業して初めて気づくような鈍感さ。
社会人になっても、人とのつながりを深く築くことができず
常に孤独を感じていた。
人生で初めて本気で打ち込んだパン教室の資格取得も
結果的には挫折に終わった。
「頑張れば報われる」という淡い期待は裏切られ
再び「やっぱり自分はダメだ」という
自己否定に囚われたんだ。
さらに、父の認知症発症と介護のための同居
そして住宅ローンという選択が
私を極限状態まで追い込んだ。
想い描いた家族像とはかけ離れ
再び地獄に突き落とされたような感覚だった。
ビジネスの世界でも、思うように成果が出せず
自己肯定感はさらに低下するばかり。
周りの人が短期間で結果を出す中
私は自分には才能がないと感じ
営業の苦痛に苛まれた。
心が弱いのかもと思い、コーチングに参加したんだ。
その中で、言われた言葉は
「他人の城で好き勝手するな。
やりたければ自分の城でやれ!」
みんなで気分を上げていこうと旗振りをした結果
コーチにもっとも最悪な瞬間に潰され
強制退会になってしまった。
さらに、裏切りによる深い心の傷も経験した。
これらの度重なる挫折と孤独な経験は、
私に「一人では継続できない」
「どうせ頑張っても結果は出ない」
という強固な思い込みを植え付けた気がする。
でも、このどん底の時期があったからこそ
私は本当に自分を救う「何か」を
必死に探し求めることになったんだと思う。
そして、そんな暗闇の中で
私は「HAPPY理論」と出会った。
この出会いが、諦め続けてきた私の人生を
そして「継続できない」という長年の課題を
根本から変えていくきっかけとなったんだ。
▶ 次の記事の予定は…
HAPPY理論との出会い:「好き」が導く心の変化
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