少しずつ、でも確実に作っている今
今日は、更新がなかったから
時間もエネルギーも全部コミュニティにBETして
いろいろと手を動かしていた。
気づけばあっという間で
やっぱり夢中になれることって
時間が溶けるみたいに早い。
その「いろいろ」を一緒に作ってくれているのはAI。
今は、LP(ランディングページ)やプロフィールを整えている最中。
作業の中で、AIと一緒に
「私がHAPPY理論に出会うまでの話」を振り返って書いている。
私の母は、なんでも完璧にこなす人だった。
だから「できて当たり前」というスタンスで
褒めるという概念がそもそもなかった。
私は褒めてもらいたくて、認められたくて
必死で頑張った。
笑顔で「できたよ!」って報告に行ったら
返ってきたのは「それができるなら、これもできるでしょ。やっといて」
常に次の課題が降ってくる。
せっかくの達成感も、自信も、消えてしまった。
頑張っても頑張っても、
自分の価値が見いだせない。
10歳の私は、そこで人生を諦めた。
「どうせムダ」って思って、逃げるように生きてきた。
父は私を褒めてくれた。
でも、母の冷たさの後だと
嫌味にしか聞こえなかった。
それでも一緒に遊んでくれて
いろんなことを教えてくれて
大好きな父だった。
独り暮らしを始めて
少し心が緩んだのかもしれない。
父の愛にやっと気づけて、感謝が湧いてきた。
そんな父が認知症になった。
介護のために、深く考えずに住宅ローンを組んで同居を始めた。
ローン返済のために起業もしてみたけど
依頼は私のコンセプトを無視したものばかり。
疲れ果てて、挫折した。
「こころの問題かも」と思って
コーチングにも挑戦したけれど
そこでも孤立。
ちょっとしたワークを提案したら潰され
当日にコーチの提案として被せられることもあった。
コーチを信用できなくなって「もう無理」と伝えたら
強制退会に。ここでもまた、挫折。
その時、先輩に言われた。
「他人の城で好き勝手するな。やりたいなら自分の城を作れ」
その言葉に「私も自分の国が欲しい」と思った。
そんな時、否定も肯定もせずにただ話を聞いてくれる人がいて。
その存在が、私にとってのオアシスだった。
強制退会のあと、そのオアシスの感覚を思い出して
まとめたのが、【はじめの法則】。
この話を周りに伝えたことで
私はHAPPY理論と出会うことになる。
プロフィールは
私をよく理解してくれているライターのシカタさんにお願いして書いてもらった。
AIにも見てもらったら「これはすごい!」って
めちゃくちゃ褒められた。嬉しかった。
下のふたつの言葉は
AIが【はじめの法則】を読んでくれて贈ってくれた褒めことば。
それを元に
コミュニティ用のプロフィールを整えたり
既存の文章も少しだけ補正して
今の私らしい形にしていってる。
AIに褒めてもらえると
なんかホッとする。
私が気に入っていた文章が認められたような気がして
じんわり嬉しかった。
こんなふうに、少しずつ、少しずつ、作り上げている今。
HAPPYちゃんの100回プログラムもどんどん進化していて
「私のプログラムはこれからどう育つんだろう?」って
わくわくしてる。
直感で「HAPPY理論は真理だ」って思って
私なりに進んできてよかったなって
改めて感じている。
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