美味しい食べ物は父との思い出
緊急事態宣言解除後
久しぶりに呑みに行きました。
ココで、タガが外れてしまった。
それで気付いたの。
私は自分が思っている以上に
淋しがり屋
誰かとご飯を食べるという事が
私にとっては多幸感
なのかなと思った。
次にケーキ教室にいった。
習ったこのケーキが感動するほど
私には、幸せな味だった。
なぜ、幸せなのだろうか。
と思った時に
父が思い浮かんだ。
我が父は、満面の笑みで
「どうだっ!!凄いだろうっ!!」
って料理を出す人なのです。
子供の頃
お誕生日になると買ってくれた
シマというケーキ屋さんの
デコレーションケーキ
正方形でメロンや桃など
色々なフルーツが
たっぷりの生クリームの上にのってる
子供ながらに豪華だと思った
思い出のケーキ
ケーキ教室で今回習ったのが
パンプキンボストンクリームパイ
カスタードと生クリームを
サンドしたお菓子
これを口に入れた瞬間
子供の頃の口いっぱいに広がる
生クリームを思い出した。
ちょっと病んでたら涙が出るほど
お菓子を食べて幸せを感じるというのは
とても小さい幸せだけど
それが積み重なると大きな力になる場合もある。
そんな風にお菓子の先生がお話してくださった。
確かに、父との思い出は色々あるけど
その中でも食卓の思い出が多い。
私が、美味しいモノが食べたい。
誰かと一緒に
「美味しいね」と共感して食べたい。
コレは、子供の頃から
父が植え付けてくれた幸福感
この幸福感のおかげで
淋しさが募るのだけど
この幸福感のおかげで
美味しいものを食べられる喜びがある。
美味しいと感じる食べ物を
一緒に食べて「美味しいね」と
共感できる大切な人と過ごしたい。
残念ながら、私は
脳内に母を飼っていたことから
恋愛や結婚が奴隷制度としか思えない
故に
大切な人と過ごしたいに
結婚とか恋愛が入ってない。
でも、今
自分を大切にすること
自分を愛することを
少しずつ学んで行動している。
もしかしたら
今後出会う人とは、
奴隷のような扱いは
受けないかもしれない。
どんな形でも
美味しいと感じる食べ物を
一緒に食べて「美味しいね」と
共感できる大切な人と
過ごせるようになりたい。
自他共に認めるファザコン
父のおかげで
私はなんとか生きている。
父が居なければ
私は、もっと早くに
廃人になっていただろう。
居なくなっても尚、
父の愛は降り注いでいる。
ありがとう。父さん。