「死」を選んだら死んだ時の感情が続くらしい
どん底に居る時、光が全く見えない時
そんな時は、どんな言葉も陳腐に感じる。
きれいごとだと思うし、
私には、そんなの当てはまらない。
総てがウソで、総てが上っ面
誰も信用できないの中には、
もれなく自分も含まれている。
どうやって顔って上がるんだっけ?!
前って何??
そして、励ましの言葉や
アドバイスを貰ってるのに
立ち直れない自分が最低。
他人にとっては、
どーってコトない事だったとしても
当事者の私には、とても大きなコト。
誰も信用できないから、
誰の言葉も聞く耳を持てない。
自分で選択したけど、
自分も信用できないから
常にこれで良かったんだろうかと
選択しなかった方のが良かったかもと
不安に駆られる。
そんな時に、オマエが悪いっ!
なんて言われると、
自己否定に拍車がかかる。
自分も感じているから
受け入れてしまう。
めちゃくちゃ辛いし苦しい。
コレが、どん底の感覚。
一筋の光も見えなくなった時の感覚。
そして、死にたいと考えてしまう。
消えたいと思ってしまう。
だけど、いざとなると最後までいけない。
こんなに苦しいのに
こんなに辛いのに
死にたいと思っているのに
行動を躊躇してしまう。
踏みとどまってるワケじゃない。
怖くて動けない。
私は、そんな感覚だった。
アナタもそうじゃない??
いざとなると恐怖に震え
力が抜けてしまうのではなかしら?
この言葉も陳腐なものに感じてしまうかもしれない。
死にたいと思っているのに行動に移せないのは
自分にはまだ可能性があると自分が感じている
思考ではなく感覚で
顕在意識ではなく潜在意識で
この後、素敵なことが起こると知っているから。
一筋の光が見えてくることを知っているから。
決して、
アナタが意気地なしだからではない
と知って欲しい。
今は、辛いね。苦しいね。
だけど、
そこで命の灯を消すとその感情のままになる。
地縛霊とか、成仏することが出来ず、
ずーっと苦しんでるでしょ?!
だから、その気持ちに許可を出そう。
何事も無かったかのように普通に過ごさなければ・・・
笑わなきゃ
なんて思わなくていい。
泣いていい。怒っていい。
自分一人で暴言吐きまくってもOK
あなたの感情は、沸き上がっていいモノ。
悪いモノじゃない。
私は、脳内で滅多刺しにしている。
ものすごく汚い言葉を脳内で相手にぶつけている。
だって、相手が悪いと思う。
それもOK
脳内では、何を思っても何を想像してもいい。
アナタの感情に悪いものは無い。
脳内で吐かせてあげて。
そうやって吐かせていけば、
最後は、パンドラの箱と同じように
一筋の光が見えてくる。
【はじめの法則】は、
こういうコトをやってます。
生きづらい人が少しでも生きやすくなるお手伝い
行動するのは、別問題だけど・・・
アナタのドロドロを吐き出すことを
アナタが許可してあげないと
ずーっと苦しいし、ずーっと辛い。
頑張らなくていい。
感情をそのまま受け入れてあげてごらん。