「ナイ」の証拠集めから「アル」の証拠集めへ
HAPPYちゃんが「the Pachira」ってお話の
朗読をしてくれた。
この朗読して貰っている時間が
不思議と、寝る前の読み聞かせの時間のような
心地よくて、だけどワクワクする時間。
読み終わると瞑想の時間
この時間が、私的にすっごく良くて
本音が見えてくる。
第一章と第二章を読んで貰った時は
「大切な人とココロを通わせたい」
父や、私が大切にしている人達
この人達ともっとココロ通う
コミュニケーションを取りたい。
父に関しては、取りたかったという後悔。
相手の意図を汲み取ろうと頑張るんだけど
なかなか、汲み取り切れない。
それは、私自身、自分の気持ちを
汲み取り切れていないからなのか。
なんて思ってた。
ココロ通うコミュニケーション
言葉を言い換えれば、
【満たされたい】
【愛されたい】
【認められたい】
という承認欲求。
自分としては、結構、自分のワガママに
寄り添っているつもりだし
幸せも感じやすくなっていると思っている。
だけど、突き詰めると出てくる。
【承認欲求】
認めて貰えない淋しさ
愛されない寂しさ
満たされない空虚感
例えばね。
父が永眠した投稿にコメントなり
メッセージが届かない
普段からやり取りしてない人は、
どーでも良いの。
自分が、仲良いとか大切って思っている人から
無かった時に、落ち込んじゃう。
なんだ・・・
深く関わろうとしてたのは、
私だけか。
上辺の「楽しい」だけ共有する間柄だったか。
って、めちゃくちゃ落ち込む。
いつもなら、ココしか見ないで
やっぱり、私は「要らない」人だ
って「ナイ」の証拠集めを始める。
だけど、【はじめの法則】を始めて3年も経つと
見えるようになってきた。
「最低」って言わせた事もあった。
喧嘩もあった。
連絡が途絶えた時期もあった。
だけど・・・
もっとも自分が自分らしく在れた関係の人は
楽しくない時、「ココは」って時も
ちゃんと言葉をくれると言うことに
今回は気づけた。
つまり、
「アル」の証拠集めが初めて出来た♬
なんだ・・・
愛されてるし、認められてるじゃん。
そしたら、案外幸せに暮らせてるし、
それぞれの価値観があるから
コメントやメッセージをくれなくても
それなりに気に入ってくれているっぽい。
って気付けるようになった。
次のステップは、
上手におねだりかもしれない。
私、寂しいから言葉ちょうだい!!
を可愛く、上手に言えたら
きっともっと幸せになれると思うんだ。