動かない私も、ちゃんと表現してた
今日はね
「RITUALIVE~MOMED×POSSIBLE~」に参加してきました。
前回より、人が多いと感じた。
早速、ワークが始まって
「テーマの周波数で、表現してみて」って言われたの。
まず最初にテーマになったのが、“男性性”。
私は自然と、仁王立ちになってた。
足をどんと広げて、肚(はら)にぐっと力を込めて、
脇もちょっとだけ開いて、手はグー。
どっしり構えて、動かない。まるで銅像みたいなポーズ。
背中で語る男性のイメージだった。
で、次は“女性性”。
これはね、足を閉じて軽く膝を曲げて
手は鎖骨のあたりでそっと組むようなやさしい姿。
どっちも動かないまま
そのまんまのポーズで止まってたんだけど、
ふと気づくとね、みんなはけっこう動いてるの。
で、HAPPYちゃんの声がマイクから響いたの。
「男性性ってリーダーですよっ!!
アナタのリーダーってそんなものですかっ?!」って。
その瞬間、思わず心の中で
「あれっ?私だけ違う。やっぱ間違ってたのかな?」って思っちゃって。
でもね、私から自然に出てきた“動かない表現”を変える理由もないし
名指しで言われたわけじゃないから、そのまま続けたの。
だけどその“私だけ違う”っていう感覚に
ついジャッジしちゃう癖が出るんだよね。
過去にMOMEDのクラスで、名指しで
「もっと出来るっ!もっと!もっと!!」
って煽られたことがあってさ。
その時、自分の“気持ち”を込めてやってたら「違う」って言われて。
結局、“気持ち”は置いてけぼりで、
「これが、みんなのいう正解でしょ?」っていうパフォーマンスに切り替えたんだよね。
そしたら、それはそれで褒められちゃって。
「え?MOMEDって感情を出す場じゃなかったっけ?」って混乱したのを覚えてる。
でもね、マイさんとヒロトさんのMOMEDのとき、
「つなこはそれでちゃんと感情が入ってるから、それでいい」って言ってもらえたの。
あのひと言で、ほんとに救われた。
MOMEDを嫌いにならずにすんだし、自分の“感じ方”にもう一度信頼を置けた気がする。
だから今日も、「またみんなと違うかも…怒られるかも…」って思いながらも、
自分から出てきたものを信じて、そのままでいたの。
帰り道に、ちょっとおどけて「ひとりだけ動きが違った~」って再現して見せたら、
「ちゃんと表現してるじゃん!!」って言ってもらえて。
……めちゃくちゃ嬉しかった。
最近ね、そうやって“私を認めてくれる人”が増えてきたなぁって感じてる。
無邪気な子どもを表現する場面でも、
みんなが元気に飛び跳ねてる中で、私はしゃがみこんで
“ありんこの巣”をじーっと見つめてるような
そんな子ども像をイメージしてたの。
土を触ったり、小さな虫を観察したり。
そんな子っているよね?って。
それもね、「そういう子、居るよね~!!」って共感してもらえて
もう、ほんとうに胸がじんわりした。
今日という日は、私にとって“ジャッジ卒業記念日”みたいな感じ。
他の誰かと違ってもいい。
怒られても、誉め言葉だと思えばいい!(…って無茶なアドバイスもらったけど笑)
でも、たしかにそれくらいの勢いでいたほうが
ちょうどいいのかもしれないなって思ったよ。
他人と関わることでしか気づけないことって
ほんとにたくさんあるね。
今日も、ありがとうの日でした。
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