どの世界に居るかで感じ方も大きく変わる
嫌な人間だった事に気付いた。
負の連鎖というのを知っているだろうか?!
親から受けた嫌な事は知らず知らず自分もやっている。
私は、産まれた時から母親と折り合いが悪い。
意思の疎通が出来ない。
憎しみと怒りをパワーに変えて生きて来た。
だからゴルゴじゃ無いけど
敵陣に独り取り残された状態。
四面楚歌で生きて来た。
疲れるでしょ?!
大変だったでしょ?!
って最近言われるようになったケド
物心ついた時点でその状態だから解らない。
ケーキ教室で、父の話をしてて気付いた。
子供の頃私の世界は「要らない子」だった。
当時、父が成績表を見て「3より上ばかりだ」
と褒めてくれたが、
人生を諦め、脳内母に常に怒られてた私は
『バカにされてる』と思ってイラついた。
ココには気付いてたケド
今回気付いたのは
大学時代、社会人成り立ての頃。
家に帰らない私をあの手この手で呼び出す父に対し
私が来ないと寂しいんでしょ?
っと弱みを握ったかのように思い
父をいいように使っていた。
最初に父の愛に気付いたのは
なんと、10年前。(どんだけ遅いんだよ。)
引越し時に父が作ってくれた
家具の工夫に感動した事がキッカケ。
こんなに色々考えて作ってくれてたんだ。
っと、涙が出た。
四面楚歌で生きて来て
初めて愛されてるを体感した。
元々使える人だから好きだった。
条件付きの愛。
酷い人間だった事に話してて気付いた。
故に母は私にとって欲しい愛情表現をしない
使えない人だから常にイライラしてた事にも気付いた。
それでも父が健在の時は緩衝材になってくれてたから
まだ、どうにかなってた。
HAPPY理論に出会って5年
父の愛に深く感謝し想いを馳せてる。
認知症になっても可愛かった父
愛の人だったケド、全部自分に溜め込んで壊れた人
もっと、もっと、伝えるべきだった。
尊敬してる事。
中卒集団就職で1人都会に出て来て
家を3軒も建てた功績。
友達を作りたいという理由にも関わらず
私立の大学費を出してくれた事。
家事も仕事も雑務も頑張ってくれた事。
わけ判らなくなっても娘のしあわせを考えてくれた事。
もっと、もっと。
父の娘に産まれて本当に良かった。
と伝えてあげれば良かった。
こう感じられるようになったのも
世界観が変わって来たから
「要らない子」から「あるがままで存在していい」
に変わった。
子供の頃は褒めて貰っても
バカにしてると認識して怒りが湧く。
HAPPY理論に出会う前から少しずつ
感謝出来るようになったけど
出会ってからの感謝は心の底からの感謝だ。
だから、認知症の父を最後まで
可愛いと思えたのかも知れない。
自分の周波数をどの領域に置くかで
出来事への反応まで変わってしまう。
愛に近付けば近付く程生きやすくなる。
私は、酔っ払った自分が1番好き
宇宙全部が友達
よくわからないけどすっごく楽しい気分
この状態がシラフで出せればな…
そんな事をよく思う。
あぁ、本当の望みはコレかもしれない。
みんな親切で、フレンドリーで
笑顔が溢れてなんかよくわからないけど
楽しい気分になれる世界にそのままの状態で存在したい。
国王になりたい。
卑弥呼になりたい。
コレは、現実無理だから別の所で
本当の望みを成立させたがってた。
母親とは無理だから
家族を作って理想の家族を創る。
って躍起になって、精神的DVとデブ専に合わせて
40キロ太って、理想の太り方では無い&
私が病んでいったから
子供のおもちゃのように捨てられる。
乱暴に扱って壊れたらポイッと
あぁ、また、繰り返すとこだった。
感情に蓋をする事が得意らしい。
四面楚歌だと思ってた世界に
父という光があったコト。
私は、本当にラッキーだ。
そして、父として側に居てくれてありがとう。
とにかく、自分だけではまだ力不足。
質問して貰えることで気付ける。
本当にありがたい。