否定って気付くとしているもんだ
私の本当の望みってなんだろう?!
突き詰めるとみんな承認欲求を満たすため
自分一人でやるって事が出来ない。
他人の欲しい反応が出るものをやりたい。
他人が欲しい反応をしないならやりたくない。
本当の望みって
誰が何と言おうとやりたい事って??
解らなくなっちゃったなぁ。。。
なんて思ってたらさ、
運悪く、お弁当やらバレンタインやら
お料理イベントを全部、ぜ~んぶ
母親に作って貰っていた子がさ
休みの日にランチ作りました。
って母親がアップした写真が
めちゃくちゃお洒落で美味しそうなの。
私さ、好奇心で「やってみたい」って
言ったが最後。
10歳からお弁当は一切作って貰えなかった。
でもね。料理を褒めて貰えるから
母の愛で突き放されたから褒められるって
ずーっと想い込んで来たの。
ちょっとモヤモヤしてる部分を見ないようにして
そのモヤモヤはさ、
10歳で料理始めているのに
お料理の先生にも料理人にも
食に関するスペシャリストになれてない。
とうとう、って感じ。
やって貰ってても、
私よりお洒落で美味しそうな
写真が取れちゃう。
思い起こせば・・・
やったことに関して
借りは作りたくないみたいな感じで
何かをしてくれることはあっても
世の中の素敵なお母さんみたく
無償の愛を感じたことがない。
私は
どこまで母に望みを持ってるんだろう。
それでも
表現が下手なのかも
いや、拗れただけで本当は・・・
なんて想いを
コトゴトク潰してくれる。
なんか
抜け出せてないなぁ・・・
そう感じて落ちてた時に
しーちゃんが
「エゴの夢でも叶えたらええやん」
を投稿してくれた。
暴走したエゴだって、私の一部
押さえつける必要は無かった。
かなり昔のお話で
「積み木くずし」というのがある。
思春期に酒煙草シンナーと
絵に描いたような非行少女のお話。
更生させるプログラム途中思春期の子が
園児のようなふるまいをする。
親は「みっともない」が出て、
ちゃんと向き合えない。
このシーン強烈に覚えてるの。
この時の親子と
暴走したエゴとの対話は
同じだなと思った。
本来、幼少期に満たされるはずだった感情
自分の選択で満たせなかった。
だから、今、「暴走したエゴ」となっている。
故に、なりふり構わず、満たしてあげれば
「暴走したエゴ」が、エゴに戻っていくのでは?
1歩ずつ、暴走したエゴを満たしてあげて
非行少女が、普通の人に戻ってきたら
本当の望みに近づいて行くんじゃないかと。
積み木くずしは
最悪な終わり方なんだけど
そういう情報を貰っているのだから
自分との対話は
ちゃんと向き合いたい。
HAPPYちゃんが、自己対話の仕方
ってのを書いてくれている。
自分で掲げているのに・・・
気付くと「ダメ」ってしてる。
気付けるようになっただけでも進歩だけど
【はじめの法則】
しっかり使いこなせるようになりたい。