同居して介護して思った事
肯定し続けてくれた
いまだ心の拠り所である父。
しかし、父はひたすら
自分が我慢すれば丸く治る。
自分が我慢すれば
という感覚だった。
だから、私が初の女性技術者として入社した会社で
嫉妬で虐められた時も
『3年は、我慢しなさい』
母の傍若無人な態度の時も
『母さんは、病気なんだ。
祖母が亡くなる前我儘になったから
きっともう、長くないんだ。
だから、優しくしてあげなさい。』
って何十年も我慢して我慢して
我慢し過ぎて
何も解らなくなって
結果、認知症となった。by私調べ
父の介護をしたいと家を建て同居を始めたが
私は、父のように我慢できなかった。
いや、する気も無かった。
父の得意な我慢が認知症を発症させたと思っている。
自分を常に後回しにして
家族のことを考えて来てた。
町工場だったので、駅から遠いから帰省が面倒と言えば
駅まで送り迎えをしてくれるような父だった。
父は、とにかく私と一緒で
皆んなでワイワイやるのが大好きな人。
だけど、子供が皆んな巣立ってしまい。
母は、1人が良いという感じの人だから
寂しかったんだろう。
2ヶ月に1回は呼ばれてた気がする。
酷い時は毎月呼ばれてた。
それがいつしか呼び出されなくなった。
おそらく、その頃から壊れ始めてたのだろう。
私は、根本が父に似てる。
淋しがり屋だし、皆んなでワイワイが好き。
父のように我慢して生きていったら
私も父のようになる。
そう思って、大好きだけど
絶対、父のような生き方はしない。
そう決めた。
本当は、どうか解らない。
だけど、私がそう感じている。
我が父は
限界まで我慢してある意味、
自分で自分を消したと思ってる。
無意識に。
安全装置が働いた感じ。
だから、今、居るこの世界から意識が飛び
パラレルワールドの住人になった。
言葉は通じなくとも
不思議とエネルギーは通じた。
こちらが和やかに話しかければ
穏やかに対応する。
忙しくて焦ったりイライラすると
反抗的な態度になる。
それでも父は可愛かった。
それでも、私の心の拠り所だった。
パラレルワールドに行っても
気にかけてくれてた父の大きな愛は偉大だ。
だから、私は、豊になる。
同じ道を歩まない努力をしていく。
happy理論とDLC Master Class
で必ず、豊になる。