生きる為に必要な行動
Twitterのタイムラインに
ヴィーガン給食のニュースが流れて来た。
「エブリワン・ヴィーガン給食」には、
アレルギーや宗教の違いがあっても、
みんなが食べられるものを用意し、
「おいしいね」と言い合えるように、
との願いが込められている。
素敵な取り組みだと思う。
だけど、このニュース記事の中に
ちょくちょく≪環境にも良い≫
という言葉が出てくる。
コレが非常に引っかかる。
環境保護や動物愛護の観点については、
あえて子どもたちに積極的に
教える機会は作っていない。
とか
自分だけでなく、周りの人、健康、地球環境など
いろいろな条件を考えながら、
その日食べるものを自分で選ぶ。
にどうしても引っかかる。
環境って何??
なぜ、動く生き物だけが、
環境を考えて排除の対象になるのだろうか。
植物だって、見栄えよくするために
農薬ばら撒いてるし
オーガニックと謳ってるけど
実際は・・・
だってさ、考えても見なよ。
無農薬で普通に育てて供給が間に合わないから
農薬を使い始めたんだからさ
今までと同じ水準で全国に安定供給って
どんな魔法を使ってるの?
って話よ。
何かしらカラクリがあるから
安定供給できるんじゃないの?
野菜の種も蒔いた後
種が取れない植物になりつつある。
動物と同じようなコトをしてる。
だけど、動物のように鳴かないし
暴れないから何も言わない。
それっておかしくない??
生態系いじくってませんか?
動物愛護の過剰な人は
鳴いたり暴れたら可哀想で
見た目何も言わなければ可哀想ではない。
って思考な気がする。
それっておかしくない??
ヴィーガンの人全員に
聞いたわけでは無いけど
なぜ、植物だけなのか理由を聞くと
肉や魚は、輸送費がかかる。
1回で植物より少ない個体しか運べない。
だから二酸化炭素の排出量が多い。
生きながら殺されて可哀想。
今回は、環境に良いと記載があった。
人間は、他者の命を頂いて生きる生き物。
菌類や植物のように産み出すことは出来ない。
言っちゃー悪いが
野菜は、野菜のピーク時に殺されている。
本当は、さらに成長して枯れていく流れなのに
ピーク時に刈り取られて人間の身体に取り込まれてる。
果物に関しては、人間でいうトコの
妊娠発覚で子宮取り出されてるのと同じだと思う。
声をださないだけで、植物も命を頂いているの。
なのに、動物だけおかしいと思いませんか。
ある種の差別だと思うの。
本当に動物が殺されるのが可哀想だと思って
食べないのなら、植物も食べないで頂きたい。
って思ってる。
食べるって他者の命を頂いて
自分を生きるって行為。
だから頂いた命は
絶対美味しく頂きたい
無駄にしたくない
という想いが強い。