知人とどう違うの
イベントで居合わせた人と食事に行って
インスタの相互フォローしたら
その後交流が無くても友達なの??
私は、こういう人が多い。
この相互フォローしたあと
プライベートで一緒になにかする。
他にも不定期でも何かあると連絡とったり
そういう間柄になるのが友達だと思っている。
この括りはハードルが高いのだろうか?
イベントで居合わせた人や
何かのオプチャでZOOM会とか
そういう時に悩みを打ち明ける機会があって
友達が居ない
という悩みを伝えると
『えっ!!私は??』
って言う人が結構居る。
私の友達の定義は先ほども述べたように
プライベートで一緒になにかする。
他にも不定期でも何かあると連絡とったりする間柄。
オプチャだったり
たまたま居合わせた人って
私的に知人って枠組みなんですよ。
もちろん、そこから深くなっていく人も居る。
だから、知人から変わらないとは言わない。
何かをする時に『あっ!!あの子』
ってお互い思い出す相手。
これが友達だと思っている。
イベントで約束しなくても会える人って
目的が無くなったらそこで終了なんです。
それが、ピンクリボン軍のファン仲間。
ピンクリボン軍のライブに行けば
会える人は当時、友達だと思ってたし
ずーっと続くと思っていた。
だけど、解散しちゃうとファン仲間だから
その後も一緒に遊ぶことは困難極まりない。
でね。私は、親友って思ってた相手に
ズタボロにされた経験がある。
凄く腹が立った。
だけど、その後、自分の見る目の無さに
がっかりしたし、絶望した。
だから、友達は要らない。
仲間が欲しい。
同じ目的を持って一緒に居る方が心地よい。
そう思っていた。
だけど。。。
仲間って目的が無くなると居なくなる。
目的は永遠ではない。
そこに気付いてしまった。
最近、DaiGoの動画
【今日中に削除】自分に向けられない優しさは嘘である
を見て
パートナシップ・友人・親子・ビジネスパートナー
の最終形態は親友のような関係だそうです。
私は、自他共に認めるファザコンです。
もし、万が一結婚するとしたら
父以上の存在になる人が現れたら
なんていう位。
我が父には大切にして貰いました。
そして、父の弱い部分も見てきた。
私は父に励まして貰ってきたが
私も父を励ましてきた自負がある。
思い起こせば、父は、父であり
兄であり、弟であり、親友であった。
最終形態かどうかは解らないけど
近しい形態だったのではないかと思う。
友達というのは、
この形態になるもっとも近しい人だと
思っている。
あかぱんちゃんのお金の無料セミナーを聞いて
お金が無い人は
人を信用していない。自分を信用していない。
・・・確かに。
自分の見る目を信用していない。
いつも知人として扱っている。
ここに稼げない理由があるのかもしれない。
そろそろ、友達作りに力を入れても良いのかもしれない。
自分が思っている「つなこ」と
相手の思っている「つなこ」にギャップを感じる。
鑑定してもらう上で知り得た本名を
勝手にSNS上にばら撒く人とかも居る。
理由は本名の方が可愛いからだそう。
「つなこ」は強い感じがするから嫌なんだそう。
だけど、私は、つなこが気に入ってる。
父も同じあだ名で「つなさん」だった。
だから、父の子って感じがして「つなこ」
がお気に入りなのだ。
もちろん、本名も父が付けているから
気に入ってる。
だけど、同じ音で呼ばれた方が気分が良い。
こういうのだって、勝手にSNS上で
本名晒すような人に依頼する
自分の見る目の無さだと思っている。
自分が信用できない。
自分と近しい感覚の持ち主を見つけたい。
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