
「真理オタクの暇つぶし」で炙り出された自分の構造
今回始まった HAPPYちゃん の「真理オタクの暇つぶし」
私は、これが好き。
THE POSSIBLE 100 training の初期もそう。
いつも最初は、“真理そのもの”の話をしてくれる。
正直、全部理解出来ていたわけじゃない。
でも、めちゃくちゃ心が高鳴った。
ところが、だ。
今回の「暇つぶし」でも
配信が始まると、コメント欄には混乱が広がっていった。
「無限にいけない=幸せになれない」という
0か100かの極論でパニックを起こす人たち。
いつものパターン。
「解らない」という声(空気感)が増え
気付けば真理の話が
依存者のための「お悩み相談」へと変質していく。
私はその、真理が「生存戦略の道具」に
引きずり下ろされていく流れが、たまらなく嫌だった。
今回の「暇つぶし」での募集は、条件があった。
『ガチにこの内容で生きたいと願う人が
現段階正直どのくらいいるのかが知りたくて真理オタクの暇つぶし
という、無駄金になるだろう内容のzoom会やります。ほんとに、この”なにか”を知って”それ”を生きたいんだよ
って方のみ申し込みしてください』
だからなのか、やたらコメントしたくなった。
でも、気分良く発言していたわけじゃない。
むしろ、イライラしていた。
投稿を重ねるうちに、その理由がようやく見えてきた。
私は、悩んでいる人に苛立っていたわけじゃなかった。
自分を明け渡している人たちに触れたとき
私の内側で「過去の自分の感覚」が猛烈に疼きだしたんだ。
当時の私は、正解も助けもない場所で
独りで立ち続けるしかなかった。
そこから必死に這い上がり
身につけた武器が「自立」だった。
だから、場が「依存」に染まっていくのを見たとき
私の感覚が警告を鳴らした。
私が必死にコメントし
コントロールしようとしていたのは
「畏れ(おそれ)」からだったんだ。
選択肢が見えなくなっていた頃の自分に戻る
その恐怖から逃れるために
私は「自立している側」に立つことで
過去の自分に戻らないよう必死だった。
畏れ(おそれ)からの行動は、何も産まない。
それなのに、私はこれが「正当な怒り」だと信じ込み
畏れ(おそれ)に突き動かされていることに
気づきもしなかった。
ダサすぎる。
自分の醜さに驚く。
でも同時に、そのドロドロした感情を認めることで
自分という輪郭がものすごい勢いで明確化していく。
この短時間で得た気付きとしては
かなり凄い。
つな台国は、気まぐれに更新されます。
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