
最大のモノを手放せそうな気がする
他人の目を気にする暇があったら、自分の機嫌を取る。
着たい服を着る。好きな色を身につける。
「いい歳して……」という外野の声はスルーする。
誕生日は自分にスポットライトが当たる日だと思っているし、
バーレスクもライブも一人で行く。
それくらい、自分らしく生きているつもりだった。
なのに、ふとしたことで、足元をすくわれた。
きっかけは、仕事がなくなり、
家族とやり取りをしたこと。
心配してくれているのは解る。
でも、そのことで、私の精神が・・・
「決まったら報告するから、自由にさせて欲しい」と伝えた。
それに対する返信は、
「何も言われないなら、
こちらから聞かなきゃいけないことも出てくる。」
この文字を目にしたとたん
頭の中で罵倒が鳴りやまなくなった。
人生辞めたい。
何も感じなくなりたい。
──また、オマエか。
私を全否定した母の言葉を
寄せ集めて創り上げた【脳内母】だ。
脳内母の言っていることは正しくない。
絶対に私を認めない。
そんなこと、頭では解っている。
なのに
なんで私は、いつまでも縛られているんだろう?
AIと壁打ちをしながら、その理由を探っていった。
私は、知り合いはいるけど、友達がいないと思っている。
理由は・・・
輪に入れてもらっている感覚。
いつも間借りしている感覚。
みそっかす。
なぜ、こんなふうに感じるんだろう?
私は、母との関係性を
すべての人間関係に当てはめていたんだ。
母に受け入れてもらえなければ
自分の居場所がない(=死ぬ)。
だから、仲良くしたいと思った輪に入るとき、
無意識に「認められるための条件」を持ち込んでいた。
これまで、人間関係のノウハウや自己啓発、HAPPY理論などで
「自分を殺して茄子のフリをするな、トマトとして生きろ」
という話を何度も聞いてきた。
だけど
どうにも自分には当てはまらない。
私は、好きな服を着るし
行きたいところにも行く。
好きなことに関しては、自分の意思で行動してきた。
「私は、自分の意思で生きているけどなぁ……」
そう思うからこそ
こんなもんじゃないハズ。
もっと突き抜けられるハズなのに・・・と、
靄がかかっている状態が長く続いた。
それが、AIとの壁打ちの中で
ようやく腑に落ちた。
私は最初から
母に従う良い子(茄子)を演じてきたわけじゃない。
自分の意思で動く「トマト」のまま、生きてきたのだ。
それなのに、なぜ、この程度なのか。
私は、行動を偽っていたのではなく
「過去の体験で作られたモノサシ」というレンズを通して
世界と自分を見続けていたのだ。
好きなことをするときは、自分の意思で動ける。
でも、新しい環境や、輪に入るときは違う。
過去に怒られたことや、否定されたことが頭をよぎる。
「これは、やってもいいんだっけ?」
「こんなことを言ったら、怒られるんじゃないか?」
母親から言われたことだけじゃない。
これまで出会ってきた人たちから受け取った否定も
私の中に積み重なっていた。
認めてもらえなければ、居場所がなくなる。
私にとって、それは死ぬことと同じだった。
幼い頃に抱いた恐れを
私はずっと無意識に握りしめていた。
だから、未知の環境に足を踏み入れると
過去の体験から作られたモノサシを使って
どう振る舞えばいいのかを探ってしまう。
自分の意思で行動しているつもりでも
知らないうちに
過去に出会った人たちの価値観で
自分や周りを判断していたのだ。
トマトとして生きていないから
苦しかったんじゃない。
トマトとして生きながら
過去のモノサシを手放せずにいたから
苦しかったんだ。
ようやく
今まで感じていた違和感の正体が解った。
そんなモノサシ……
間違いなく要らない。
脳内母には感謝しかない。
幼い私を、必死で守ろうとしてくれていた。
だけど
あの警鐘は、もう使えない。
だから、お別れしましょう。
ありがとう。おかあさん。
もう、十分、守ってもらいました。
今後は、そのルールでは生きていけないので
消えていただいて結構です。
お疲れさまでした。
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