
「どうせ来ると思った」の一言に傷ついた日
会場に行けば、顔見知りはたくさんいる。
声をかければ楽しくおしゃべりもできるし
帰るタイミングが合えば
ごはんやお茶に行くこともある。
だけど、イベントが終われば
それっきり。
日常でやり取りが続くわけでもない。
そんな関係に、どこか虚しさを感じていた。
「私には友達がいない」
そう口にすると
周りから「えっ?! 私は??」
と言われることが多い。
なんなら、説教が始まることもある。
もちろん
その人たちと一緒にいれば楽しい。
けれど
どこかへ出かけようと思ったとき
私から誘いたい人ではあっても
相手から誘いたい人として
私は思い浮かばないのだ。
SNSを見れば
私ではない友達と食事に行ったり
遊びに行ったりしている。
一方
私に声がかかるのは
金銭のやり取りが発生するイベントがほとんどだ。
応援したい気持ちはあるし
誘ってもらえるのは嬉しい。
けれど・・・
相手が求めているのは
「私という人間」ではなく
「自分の活動を見に来てくれる観客」
なのではないか。
つい、よぎってしまう。
相手には親しい友達やコミュニティがあり
私はその輪に一時的に
「間借り」させてもらっている。
その場には馴染める。
笑顔で過ごすこともできる。
でも、解散すれば、それぞれの日常に戻っていく。
誰かが作った輪の中に入れてもらうことと
自分という存在を求めてもらうことは
まったく別なのだ。
私が欲しいのは
イベントで会える知り合いではなく
日常の何気ない瞬間に思い出してもらえる関係なのだと思う。
「行きたいお店があるんだけど、一緒に行かない?」
そんなふうに、相手の側からも
私と時間を共有したいと思ってもらいたい。
会ったときには、お互いの話を聴き
嬉しいことも悲しいことも分かち合う。
そんな関係を育てていきたいのだ。
一人で過ごす自分の世界も大切にしてきたし
一人で生きていく力も身につけようとしてきた。
だけど、一人だけでは共感できない。
「悲しみは半分、喜びは2倍」という言葉があるけれど
独りで味わう喜びは、もう十分堪能した。
これからは、誰かと分かち合いたい。
私にとって【友達】とは、そんな間柄なのだ。
その思いに改めて気付かされたのが
横浜よさこい祭りだった。
今回は誰にも誘われていなかったけれど
元気をもらいに行こうと、自分から足を運んだ。
会場で知り合いを見つけて声をかけると、こう言われた。
「わぁ~♪ 見に来てくれたの??
ありがとう!!
どうせ誰かが誘ってると思ったから声かけなかった~」
その瞬間、ショックを受けている自分に気づいた。
有料のイベントでは誘ってくれるのに
無料のイベントでは誘われない。
「あれっ?! 私、ATMじゃん!!」
もちろん、相手に悪気はないのかもしれない。
それでも、私の中には
「私は顧客リストの一人なのかな」
という悲しさが残った。
誰かの本当の気持ちを確かめたわけではない。
けれど、こうした経験が重なるうちに
誘ってもらえることさえ
損得勘定によるものなのではないかと
疑ってしまう自分がいた。
すべてのイベントに誘ってほしいわけでも
いつも一番に考えてほしいわけでもない。
ただ、損得勘定抜きで
お互いに関心を向け合い
共有・共感できる友達が欲しいのだ。
いつも、どんなときも、
自分らしく生きていれば
人との関係も少しずつ変わっていくのかもしれない。
これまでの私は
誰かとのつながりを求めながら
自分が本当に望む関係を
うまく言葉にできずにいた。
でも今は、少しずつ見えてきた。
誰かに合わせるためでも
誰かに認めてもらうためでもなく
自分が心から望む生き方を選んでいく。
そして、その先にある出会いを楽しみにしたい。
今が、本当の「旅立ちの時」なのかもしれない。
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