Tsunakoismとは
Tsunakoismは「つなこの流儀」
Tsunakoism(つなこイズム)は、
「つなこの流儀」という意味で、私がつくった言葉。
30代の頃、自分だけの言葉が欲しいと思っていた。
テレビで『おしゃれイズム』を見て、
「イズムって何だろう?」と調べたら
「〇〇主義」や「〇〇の考え方」という意味らしい。
「つなこ主義とかカッコイイ!!」
そんなノリで使い始めたのがTsunakoism。
その後、さまざまな経験をしてHAPPY理論を学び
自分が本当に望んでいることを考えるようになった。
気がつけば、Tsunakoismは
自分の生き方や世界観を表す言葉へと変わっていった。
HAPPYちゃんの
「世界は、自分で創る」
「自分の人生の主役は、自分」という考え方も
私の中で大きな意味を持つようになった。
自分の感覚を信じ、自分の人生を自分で創っていく。
それが、今の私が考えるTsunakoism。
目指しているのは、
「しあわせの先の豊かさ」。
自分の国を創る
子どもの頃、小学校4年生から6年生くらいまで、
夏休みに「南無道場」という場所で
2泊3日の自給自足の暮らしを体験していた。
竹を切って箸をつくり、
薪を割り、お風呂を沸かし、ご飯をつくる。
掃除や座禅もする。
みんなで暮らしに必要なことをやる生活が、
私は好きだった。
今、私がつくりたい世界の原点には、あの頃の体験がある。
だったら、自分の国をつくろう!
コーチングのグループで、私が考えたワークをみんなで楽しんでいた。
ところが、盛り上がっていたところでコーチに潰された。
理不尽だと思った。
その後、先輩から言われた言葉。
「他人の城で好き勝手にやるな。やるなら自分の城でやれ」
だったら、自分の国をつくろう!
これが、自分の理想とする世界をつくりたいと思った始まりだった。
令和の卑弥呼から、つな台国へ
HAPPY理論のワークショップで「存在設定」を考えたとき、
私が思い描いたのは「令和の卑弥呼」。
人々の近くにいて、話を聞く卑弥呼をイメージしていた。
卑弥呼について調べると、人々の前に姿を見せない遠い存在だったらしい。
そこで、パールちゃんが名乗っていた
「令和のシャネル」を参考に、「令和の卑弥呼」と名づけた。
その後、コミュニティの仲間が
「邪馬台国ならぬ、つな台国だね!」と言ってくれた。
この言葉が気に入り、コミュニティを「つな台国」と名づけた。
自分の国をつくりたいという想いに、つな台国という名前がついた。
祈りとは、内なる神の御神託を承ること
私にとって祈りとは、自分の内なる静けさに還ること。
HAPPY理論で学び、私なりの解釈では
宇宙図書館やアカシックレコードのような
根源の情報につながる場所。
その場所に神が宿っているという考え。
身体の感覚を通して、そこからの情報を受け取る。
けれど、頭で考えたことや経験
周りの常識にとらわれると
内側の感覚を見落としてしまう。
だから、人間的な思考を止め、内側に意識を向ける。
そして、そこにおわす神の御神託を承る。
受け取った感覚を御神託と信頼し
自分の選択や行動につなげていく。
祈りは、私の生き方の根っこにあるもの。
燈謜響カードが生まれた
つな台国を本気で創ろうとAIと壁打ちしていたとき
カードをつくるという提案があった。
「おもしろそう!!」
そう感じて、燈謜響カードをつくることにした。
燈謜響カードは、私の中から湧いてきた言葉を形にしたもの。
「燈謜響」は、桃源郷をヒントにした当て字。
燈(ともしび)
「祈りが ひとつの光になるとき」
謜(うた)
「内なることばは静けさの奥」
響(ひびき)
「内なる静けさの奥から響く光」
Tsunakoismが創る世界
Tsunakoismは、私が大切にしている生き方。
自分の感覚を信頼し、自分の人生を自分で創っていく。
つな台国は、私が思い描く世界を形にしていく場所。
子どもの頃に体験した暮らしと
自分の城で理想の世界をつくりたいという想いがつながっている。
燈謜響カードは
私の中から湧いてきた言葉を表現したもの。
世界は、自分で創る。
自分の人生の主役は、自分。
だから私は、私の理想とする世界を、自分で創っていく。
それがTsunakoism。
そして、その世界を形にしていく場所が、つな台国なんだ。
「しあわせの先の豊かさ」
それが、私の目指す世界。

